crack

 熱く潤む緑の瞳がこちらを見上げている。
 けれどそこに、以前のまっすぐな強さはなく…。
「あ…狼さん、狼さ……」
 甘く呼ぶのを遮るように激しく攻め立てると、声は、意味を為さない喘ぎに変わった。

   お兄さん、どこに行くの?
   ティアナも連れて行って

 守るべき、愛らしい小さな存在。
 ずっとそう、思っていられれば良かったのに。
 いつのまに、袋小路に迷い込んでいた…?
 道を違(たが)えた最初の一歩は、
 居場所を確保する為なら、男の玩具になることさえ呑む。失望の中で、振り切れてしまった自制心か。
 おまえは初めから『食料』なんかじゃない。不意に突き付けられた怯えに、抑えられなかった憤りか。
 悪夢を見て部屋に来た夜、堪えきれずにしたキスか。
 それとも、
 監視など要らないと、そして抱(いだ)く想いの変化に気付いても、……だからこそ手放せず、ここに置いていたことが、そもそも間違いだったのか…。
 大事な女の初めてを、互いにとって最低な形で奪った。重く苦い後悔が占める心に、忍び込んだ昏い悦び。
 傷つけたくないと押し殺していた愛情が、誰にも触らせたくないと…歪んだ独占欲に染まっていく。
 俺はもうどれくらい、おまえの笑顔を、拗ねて怒る仕種を見ていないだろう。
 笑い声を、意地っ張りな強がりを聞いていないだろう…。
 身体を繋げるたび、築いたはずの信頼に入る亀裂(ひび)は増え、痛みは深くなっていく。
「……んっ……はあ……、狼さん…」
 絶頂を迎え、縋るように回された細い腕。
 近づく顔を露骨に避けると、代わりに冷淡な視線を投げた。
「これで終わりじゃないぞ…。俺はまだ遊び足りないんだ……」
 低く呟き、再び動き出す。
 重ねられない唇から零れる嬌声に胸を灼かれながら。
 焦がれた肌(ねつ)を抱きしめ、―― 狂気に堕ちていく。

fin.

2011,05,28

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