転遷

 猟師さんが森を去ってから狼さんは前にも増して、ひたむきな愛情を私に注いでくれている。
 日中はパトロールに支障がない程度に家に帰ってきては、他愛ない話で笑わせて。
 あまり進んで外に出なくなった私を、森の綺麗な場所に連れていってくれたりもする。
 毎日温かい腕の中で守られて、猟師さんを思い出して泣くことはなくなった。
 けれど抱かれている最中、身体はまだ不意にあの日の記憶を辿って。
 知らず哀しい顔をしているのか、そういう時は決まって目隠しをするか向かい合わない体位に変え、激し過ぎるほどの快感で、叶わなかった恋を忘れさせてくれる。
 私にとって狼さんはもう、何より失いたくない、“一人の男の人”になっている。
 ただ…身代わりや依存じゃないのかと訊かれたら、はっきりと否定はできない。
 こんなに愛されて、こんなに大事にされているのに。
 どうして私は…。
「そんな顔をするな」
「え…?」
 肩を抱き寄せていた手が、緩やかに髪を梳いていく。
「無理に俺を好きになろうとしなくていい。
 おまえが俺のことで悩むのが、俺には一番辛い」
「狼さん…」
「今は、おまえが少しでも幸せな気持ちでいてくれたら、それでいいんだ。
 だから気兼ねしないで甘えてくれ。…な?」
「…うん……」
 嬉しくて、やっぱり申し訳なくて、浮かんでしまう涙を拭ってくれる指。
 そのやさしい温もりにますます濡れていく瞼へと、今度は唇がそっと降りて。
 あやすように背中を撫でながら泣き止むのを待った後、狼さんはわざと軽い調子で続けた。
「隠し事があるのに手放したくない、なんていう狡い男は、思いきり利用していいんだぞ?」
「だけど隠しているのは、私の為もあるんでしょう?」
「………」
 狼さんは狡くなんかない。
 それに、人間を殺したと正直に認めた上で理由を教えてくれないのは、私への気遣いもあるんじゃないかと考えていたけど…。
 勘違いだったのか、向けられる眼差しに戸惑いが微かに混じる。
 そして苦い笑みのまま狼さんは黙り込んでしまった。
「ごめんなさい、私の自惚れだった?」
「いや…、自惚れじゃなくて、買い被りだな。
 本当は、全てを知ったおまえが俺をどう思うのか怖くて、話す決心がつかないだけなんだ…」
「……聞いたら怒るかもしれないし、泣いてしまうかもしれないわ」
 でもね、と一息置いて私は微笑んだ。
「私が狼さんを嫌いになることは、絶対にないと思うの」
「……ティアナ…」
 琥珀色の瞳に揺れる、愛惜と葛藤。そこに滲む、切なさに胸が詰まる。
 私も…、狼さんに幸せな気持ちでいてほしいのに。
 そんな顔しないで…。
 苦しめているのが自分だと判っていて、言えるはずのない言葉を、声にする代わりもっと近くに寄り添った。
「―― 狼さん、甘えてもいい?」
「何だ…?」
「キスして…」
「ああ…」
 どんな時だって狼さんは一言で、欲しいキスを判ってくれる。
 繰り返される淡い口付けは、肌を重ねるのとはまた違う快さと安らぎで私を満たしていく。
 出逢った頃は本気で子ども扱いされていた私が、狼さんの内(なか)でいつのまにか、女になっていたように。
 あんなに泣いた失恋の傷さえ次第に薄らいで、私の心で一番大きな存在が狼さんになっているように。
 想いは、気付かないうちにかたちを変えていくから。
 痛みが癒えるたび、確かに生まれる甘い愛おしさに名前を付けられるまで。
 あと少し、狡い私のままで甘えさせて……。
 広い背中に両腕を回しぎゅっと抱きつくと、深い森の香りに包まれて私は目を閉じた。

fin.

2011,06,22

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