「風呂、焚けたぜ。入ろう」
ご機嫌に尻尾を揺らした狼さんがダイニングに戻ってくる。
けれどティアナは、三つ編みをほどきつつさらりと答えた。
「狼さん、先に入っていいわよ」
「何だ? 恥ずかしいのか?」
最初はきょとんとしていたものの、すぐににやにや顔になる。
狼さんは誓いの口付け以降、こちらの話をあまり聞いてくれていない。
このままペースに巻き込まれちゃダメと、ティアナは先刻夫になった大好きな人をまっすぐ見上げた。
「だって狼さん、お風呂でしそうな感じなんだもの」
「嫌なのか?」
これまでバスルームで本気で抵抗したことはないせいだろう。琥珀色の瞳から余裕の笑みは消えない。
自信に満ちた表情が、ほんの少し憎らしかった。
「嫌…。
記念すべきっていうなら、流れでじゃなくて、その時間をもっと大事にしたいわ」
「………」
「さっきも、私はまだ結婚式の余韻に浸っていたかったのに…」
つい拗ねた口調になって俯く。
視界の端に、帰宅後初めて動きを止めた尻尾の先が映る。
やさしく頭を撫でられそっと目を上げると、ふわりと森の香りにくるまれた。
「そうか…。おまえの気持ちを察してやれなくて悪かった…」
「狼さん…」
大きな背中に腕を回す。
頬を包み込む両手の温もり。左の薬指だけが、外気を残して僅かにひんやりしている。
そこに自分の手を添え、淡いキスのようにお揃いの指輪を重ねたら、口元が自然と綻んだ。
「一緒に入ってもいいけど、お風呂では何もしないって約束してくれる?」
「分かった。…我慢する、……努力はする」
「ふふっ」
正直に付け足す様子が可愛くて笑ってしまう。
狼さんにこうして熱心に求められるのは、いろいろ言いながらもやっぱり嬉しい。
背伸びして今度は首に抱きつくと、
「約束、ね…?」
ゆっくりと口唇を合わせ、やや悪戯っぽくティアナは囁いた。
fin.
2012,03,22
現在文字数 0文字