Envy

 宿屋や酒場の並ぶ通りの喧騒を抜けると、後ろを付いてきていたアリアが小さな声をあげた。
 続いて羽音が隣に降りると、軽い会釈の後で再び低く飛び立つ。
 両翼の行く先にちらりと目を遣ると、銀髪の男がいた。
 紫の法衣。アンデッド退治の時以外教会には縁のないクライヴも、それが最高位の者にのみ着用が許されたものだという程度の知識は持っていた。
 そういえば以前、彼女の管理する勇者の中に教皇候補がいると耳にした覚えがある。名は確か、ロクス。
 横には、リリィと交代でよく同行に訪れる妖精 ―― シータスの姿も見える。
 道中で、聖都に程近いこの町に他の勇者が滞在していることは、予め聞いていた。
 ご紹介しますね、とのお節介極まりない提案は黙殺で一蹴したのだが、それでは拒否の意志表示にはならなかったらしい。
 こちらの心情も知らず、天使は勇者達と笑顔で言葉を交わしている。
「………」
 彼らから目を逸らし、クライヴは疎ましそうに微かな溜息をついた。

「アリア、こいつをどうにかしてくれ。男の癖に君より口煩いぞ」
 近況を確認し、続けてあの、と言いかけた天使を遮り、ロクスは心底げんなりした様子で妖精を指差す。
 しかし目の前で邪険にされたシータスは、あくまで飄々とした態度を崩さなかった。
「ロクス様、最近飲み過ぎですからね。俺は職務に忠実なだけです」
「助かります。よろしくお願いしますね、シータス」
「おい…。
 ……どーでもいいが、あいつを放っておいていいのか?」
 藪蛇か、と眉間に深く皺を寄せたロクスの表情が、不意に不穏当な含み笑いに変わる。
 アリアが怪訝そうに示された方を振り返ると、黒髪の後ろ姿が、早い歩調で彼らから遠ざかっていく処だった。
「え…? クライヴ!?」
「同行中なんだろう? とりあえず、あいつを追い掛けた方がいいんじゃないのか?」
「はい! すみません、ロクス」
 大慌てで、天使は挨拶もそこそこに翼を広げる。
 声が届かない辺りまでそれを見送った後で視線を戻したロクスの瞳には、先刻同様、悪戯めいた光が映っていた。
「おい、シータス」
「何ですか?」
「あのふたり、上手くいくか賭けないか?」
「俺とロクス様で、何を戦利品にするんです?
 第一結果が判り過ぎて、そもそも賭けになりませんよ」
「…そうだな」
 立ち去る前、一瞬だがこちらを睨んでいた、鋭い眼光を思い出す。無表情の奥には、天使に近寄る男への敵意がはっきりと宿っていた。
 天使は天使で、たった一言その名を口にする声音にさえ、ごく僅かではあるが特別な響きが含まれていた。
 要するにふたりが互いに持っている感情は、どうやら双方とも自覚はないようだが、傍目には一目瞭然ということなのだろう。
 まあ、こんな賭けを持ち出した自分も実は、突けばすぐに泣き出しそうなヤワな天使サマなのかと思ったら、案外打たれ強かったりする彼女が結構、気に入っていたりはするのだが。
 横ヤリを入れて、彼女を自分に振り向かせる。それも面白そうな気がしたが、どうも天然ぼけ気味のアリアにそんな手が通用するのか、というのは疑問が残る。
 馬に蹴られ損、では割に合わない。
 だったら最初から外野に徹して、高みの見物を決め込んだ方が良い。
 自分の恋(きもち)に気付いた時、まるで天使の見本のような彼女がどう変わるのか。そしてこの任務を終えた時、どんな未来を選択するのか。
「意外な楽しみが、一つ増えたな」
 くつくつと、少々人の悪い笑みを浮かべつつ、ロクスは一人呟く。
 それからまた、さも愉しげにシータスを見上げた。
「じゃあ、いつ一線を越えるか、ってのはどうだ?」
「掟で禁じられていますから、アリア様が守護天使を務められている間は無理ですよ。
 地上に降りられた後では、俺もこの仕事を解任されていますから、勝敗が判りません。
 …というか、俺を巻き込むのはやめてください」
「僕一人だと賭けにならないだろう?」
「一応忠告しておきますが、他の妖精達にも振らない方がいいですよ。
 フロリンダの耳に入ったら、確実に特大のカンガルーパンチが飛んできますから」
「ああ、あのペンギンか…」
 初対面の時に軽い気持ちで着ぐるみにケチをつけて以来、すっかり嫌われている天使のパートナーを引き合いに出されたロクスは露骨に顔を顰める。
 何しろフロリンダは、自他伴に認める“天使様大好き”妖精である。
 アリアを下世話な賭けのネタにしていると知れたら、思いも寄らない大事になって厄介かもしれない。
「しばらくはこれで遊べるかと思ったんだけどな…」
「………」
 本気で残念そうな口調に、シータスはこれ以上何も言うまいと軽く肩を竦めた。

 一方。
 賭けの対象にされていることなど知る由もない当事者達はというと、そんなお気楽さとは天と地ほども掛け離れた状態になっていた。
 ずんずん先に歩いていってしまうクライヴを、アリアは必死で追い掛ける。
 更に、
「……クライヴ…?」
 怖々呼び掛けた声も完全に無視されてしまい、途方に暮れた。
 それでも何とかこの状況を打破すべく、天使はまず大きく息を吸い込んだ。
「…あの、待ってください! クライヴ!」
「………何だ?」
 ようやく足を止めてくれた勇者の正面に舞い降りて。
 意を決して、口を開いた。
「どうして、怒っているんですか…?」
「別に、怒ってなどいない」
「………」
 でも、空気がすごく怖いんですけど…。
 とは言えなかった。流石に。
 アンデッドに向けられたものとは明らかに違う。けれど今のクライヴは間違いなく、思い切り機嫌が悪い。
 だが理由が判らないので、謝りようもなかった。
「あ、先程会ったのが、勇者をお願いしている方の一人で…」
「君の姿が見えるのだから、そうだろうな」
「………」
 会話終了。
 取り付く島もないというのは正に、こんな時の為にある言葉なのだろう。
 内心半泣きの天使はもう、次に話し掛ける糸口さえ見付けられずにいる。
 対するクライヴも、自分が何故苛立っているのかが判らず、それが普段以上に無愛想な言動になって表れていた。
 アリアと気の置けない雰囲気で接しているあの男を見ていたら、なんだか気分が悪くなった。
 別に、ロクスがどうこう、というわけではないはずだ。
 会うのは今日が初めてで、個人的な不快感を持つ謂れもない。
「……行くぞ…」
「…は、はい!」
 ぼそりと言い置いて歩き出す。
 色々と有耶無耶になったままなのだが、同行は続けられることにひとまずほっとしたのか、アリアは顔を上げて微笑う。
 横目で見た笑顔は、クライヴの胸中でしばらく、自分自身でも読み解けない鈍い疼痛となって残っていた。

 ちなみに、
 この時の感情が、世間一般には“焼きもち”と呼ばれるものなのだと彼が気付くのは、一年半以上も先のことになる。

fin.

2007,10,21

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