「誕生日おめでとうございます、クライヴ」
真夜中にやって来たアリアは、開口一番、にこやかにそう言った。
しかし喜色満面の天使からの祝意は、クライヴの耳をまるで他人事のように通り過ぎていく。
しばしの無言の後、彼は半ば感心半ば呆れたといった様子で軽く溜息をついた。
「……君くらいだな。毎年律儀にくだらないことを言いに来るのは…。
俺の誕生日など、別にめでたくも何ともないと思うが?」
「………」
実はちょうど一年前にもふたりは、ほぼ同じ会話を交わしていた。去年はそれから揃って黙り込む結果となり、彼女は少し淋しそうに、良かったら使ってくださいと銀製の護符を残して天界へと戻っていった。
クライヴのにべもない物言いに、先刻彼を訪ねてきたばかりのアリアはやはり、すっかり意気消沈してしまっている。
おそらく今日もこのまま帰ってしまうのだろうと、彼は再び手入れの途中だった剣へと視線を落とした。
だが一年という時間は、確実に、ふたりの互いに対する認識を変えさせていた。
お人好しな天使が持つ独特の温柔な雰囲気(くうき)は、天界での純粋培養故ではなく彼女の本質そのものであることを、今のクライヴは識っている。同様に今のアリアの心には、初めて逢った夜に感じた怯えは既に欠片もない。
それを示すように、
「でも」
そこで一度言葉を止めてクライヴを見上げたアリアの双眸には、彼が思いもしなかった歓びが溢れていた。
「二三年前の今日があって、そして私は、クライヴに出逢うことができました。
とても大事な、特別な日だから、一緒にお祝いできたら…って思ったんです」
「………。
―― どうして、君は…」
“生”を否定する俺に、
こんなにも温かく微笑いかけるのだろう…?
いつだって、
時に、たじろぐほど透き通った瞳で、
この身に潜む闇の大きさに、怯むこともなく……。
心臓に近い場所が何故か、苦しくなる。
血の発作とは違う。
養父母を亡くして以来久しぶりに、心からの笑顔と伴に名前を呼ばれた。あの夜から、時折胸に去来する、不可解な感情。
理由(わけ)も分からぬまま、クライヴは食い入るように天使を見つめた。
これまで数多くの犠牲を伴い、生きてきた。
できるなら生命(いのち)が始まった日ごと、
消し去ってしまいたかった。
けれど天使が、
きっと何にも穢されない、
その背の翼より真っ白な君が祝福してくれるのなら、
それだけで、
ここにいていいと、赦されているようで ――― 。
「……ありがとう…」
気付くと自然に言葉が出ていた。
短い、たった一言で。
天使の顔がぱっと輝く。
おめでとう。そう言った彼女の方が、願いを叶えられた子供みたいに、無邪気に。
本当に、
どうして君は……。
クライヴの口元に静かな笑みが浮かぶ。
いつのまにか、とても穏やかな気持ちになっていた。
他意もなく、ただ一緒にいたいと思った。
彼女がいれば、失ったものを憂えずに、自分自身を疎むことなく、“今日”という日を過ごせる気がした。
そうしてクライヴは、彼にしては至極珍しく、素直に思いを口にした。
「アリア。時間があるなら、少し、…話をしないか?」
「―― はい」
首をやや傾げて、アリアは微笑む。安堵した時や嬉しい時、よくそうしているように。
予想もしなかったやさしさに包まれて、誕生日の夜は過ぎていく。
たとえそれが、刹那の安らぎであっても。
今日だけは、僅かでいい、死を望み続ける代わりに感謝しよう。
この世界にいられることを。
そしてそんな時間をくれた、君に、……出逢えたことを。
fin.
2002,02,16
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