ふわりと、早秋の冷気を含むものの、頬に当たる感触はやわらかな夜風が過ぎる。
広がる香気が身体を包み、一瞬の酩酊感を覚えて、クライヴはふと空を仰いだ。
宿に向かう途中通り掛かった海沿いには、小振りな白い花が群生していた。
乳白色の花片は月の光を反照し、やや青みを帯びて淡く輝く。
たおやかで清楚な様は、自然と天使を想見させた。
繊細な花形(かたち)だが、海岸近くにこれだけ咲き誇っているのは、見掛けに依らない毅さを持っているからだろう。
そんな処も似ているなと、知らず微かな笑みが浮かんだ。
以前はこういった草花など、一顧だにしなかった。
ただひとつの出逢いを転機にここまで物事の捉え方が変わるとは、勇者を引き受けたあの夜には思いもしなかった。
天上で生まれ育った君が、地上の風景を綺麗だと微笑う。
同じ彩りを視たいと、言葉を、眼差しを辿るうちに、いつのまにか世界そのものが、“大切”な、“護りたい”ものになっていた。
―― 盈月(つき)のように、上潮(うみ)のように。
慕い恋う熱は日ごと、満ちていく。
けれどかたちのない心の内(なか)でそれは、欠けることも引くこともなく…。
もどかしさも迷いも、切なさや痛みまでも、君へと向かう感情(おもい)はいつも何処か、甘やかで。
どれほどに苦しくても、かつて飲まれかけた怒りのように、闇の側へと振り切れることはないのだろう。
この花を見せたら君は、喜んでくれるだろうか。
微笑って、……くれるだろうか…?
それは予想というより、―― 願いと、呼ぶべきなのかもしれないけれど。
傍にいてほしい。
叶わずとも、消えることなく。
抱(いだ)く希みは、儚げに、然れど潮風に絶えず添う花の香に似て。
それでも、こうして誰かを想えるのは幸せなのだと今は、…識っているから ――― 。
音もなく揺れる花唇に、愛しい天使(ひと)を映しながら。
その声を探すように、クライヴは静かに、雲間に浮かぶ十三夜の月を見上げた。
fin.
2006,12,18
初出(フェバ祭り!2さま参加) 2006,09,17
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