白く霞んだ視界の中で、陽に透ける金の髪の眩しさが、やけに心に焼き付いた。
自分には縁遠い、青い空を映し込んだような瞳に、今更ながら見とれていた。
俺はこの時間を、君といられる今を、
大切に思っている…
初めて、彼女への愛しさを言葉にした。―― あの瞬間(とき)に、気付いてしまった事実がある。
大事にしたいと、護りたいと、その気持ちに偽りはない。
だが時に、それさえも凌駕して心を占めていく、狂おしいまでの渇望。
この想いに応えてほしいと願うことは、陽光(ひかり)の射さない世界で生きてほしいと願うこと。
罪だと…分かっていても求めている。
これからの時間がどんなに重く昏い闇の中にあっても、君がいればそれでいい。
君だけが、何より得難い至上の光耀 ――― 。
任務地に向かう途中偶然出くわした、帝国に召喚された異形の魔物。
強大で邪悪な気配は、単なる雑魚とは思えなかった。
この地域で事件が起こっているとは聞いていない。しかも既に夜の終わりは近づきつつあり、戦闘が長引けばこちら側が絶対的に不利だ。
この場は退いて、妖精を通じて天使に報告するのが最良の策なのは分かっていた。
けれどここで見過ごすことで、後(のち)に大きな禍いとなるかもしれない。
常に忙しく地上を飛び回っているアリアを思うと、禍根は早く断ってしまいたかった。
向こうも彼が天使の勇者であることに気付いたのか、敵意を剥き出しにして襲い掛かってくる。
「行くぞ」
同行していたリリィに短くそう告げて、クライヴは剣を構え直した。
太い幹に寄り掛かり、肩で息をする。
戦闘で力を使い果たしてしまった妖精は、いつのまにか姿を消していた。
予想外の強さを持っていた敵を辛うじて倒せはしたものの、引き際を誤ったのは明らかに自分のミスだ。
こんな時なのに、目を閉じると天使の笑顔が浮かぶ。
大切な大切な、誰より…光の似合う存在(ひと)を想う。
何処か向きになっている、自分に気付いてはいる。
惹かれていく想いが強くなればなるだけ、彼女との“違い”を実感させられるから……。
夜明けが近い。空に雲はほとんどなく、この木の影は朝陽を遮るにはあまりにも心許ない。
それでも満身創痍の現状では、満足に立ち上がることもできなかった。
羽音が、した。
「クライヴ!!」
切羽詰った声に、遠退きかけていた意識が呼び戻される。
重い瞼をどうにか抉じ開けて、舞い降りる天使の姿を必死に捉えようとする。
アリアがここにいる。それだけで、自分を包む空気が和らいだ気がした。
「……アリ…ア…」
ひとつ、頷いて。アリアはすぐに回復魔法を掛け始める。
詠唱に合わせて清浄な光が降り注ぎ、全身に負った傷が次々に癒されていく。
元々回復を得意とする彼女の魔法の効果は確かで、辺りの景色が再び暁闇に沈む頃には疲労感も全てなくなっていた。
長い息を吐き出す。
まず礼を口にしようとしたクライヴは、しかし深く俯く天使の様子に何も言えなくなってしまう。
地面に膝を突いたまま、服をきつく握り締めていたアリアが、きっと彼を見上げた。
「……無茶、しないでください…っ」
心配と安堵と怒りと…。たくさんの感情が混じり合った悲痛な眼差しが彼を射貫く。空色の双眸から溢れた涙が、頬を伝っていく。
彼女を思っての行動が、いつも人前では泣こうとしないアリアをこれほどに哀しませた。
本末転倒だな、と酷く苦い思いが広がる。
けれど同時に、彼の為にだけ流された透明な雫は、魂(こころ)の渇きを甘く潤していく。
これ以上涙を見せたくないのだろう。アリアはまた下を向いてしまう。
こんな身を案じて泣いてくれる、この華奢な少女を腕の中に閉じ込めたい。そんな衝動に駆られた。
思わず手を伸ばしかけて、自分にその資格はないと思い留まる。
しばらくして、アリアはやや気恥ずかしそうに顔を上げた。
「……ごめんなさい。早く休める処に行った方がいいですよね。もう歩けますか?」
「ああ。君が回復してくれたからな。……ありがとう。すまなかった」
天使はほんの少し赤い目で微笑んで、ゆっくりと首を振る。
それから、彼の窮状を妖精が駆けつけて教えてくれたのだと静かに話し出した。
「今リリィにはお休みしてもらっているので、代わりに私が同行してもいいですか?」
「……ああ」
立ち上がって、歩き出す。普段は若干距離を置いて翼を使ってついてくるアリアも、気遣うように隣に並んだ。
さりげないやさしさを、愛しいと素直に思った。
おそらく永遠に、彼女との相違が埋まることはないのだろう。
多くの自問がこれからも生まれて、積み重なっていくのかもしれない。
でもきっと、消せない愛しさ。失くせない希み。
ならばただ、この心に在るままの君への想いを抱(いだ)き続けよう。
宿命に惑わされずに。
罪悪感を逃げ道にすることなく。
ずっと君に、こんな風に、
傍にいてほしいから……。
いつもは目に、そして胸に、痛いだけの夜明けを教える白い空の色も、今日は何故か戸惑うほどやわらかく、彼の瞳に映っていた。
fin.
2002,01,23
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