雲のない夜空に白い翼を待って

 いつのまにか、空を見上げる癖がついていた。

   クライヴ様、よく空を見ていますね。

 自覚したきっかけは、妖精の他意のない一言だった。
 それからしばらくして、気が付いた。
 その“癖”が出るのは決まって、天使が近くにいない時だということに。
 そして今日も、剣を振る手を一度休めた瞬間に、
 何かを探すような、求めるような気持ちで、上空を見て。

      ……待っている…?

 ―― 何を?

 そんなことは明白だった。
 彼女のもたらす情報。それ以外には有り得ない。
 天使の耳に入るほど重大なアンデッド絡みの事件であれば、首謀者はおそらく奴に通じている。
 とはいえこれは、一方的な利用ではない。
 天使の望みは事件の解決であり、利害は一致しているのだから。

 だが、一概にそう言い切れない場合があるのも事実だった。
 これまでヴァンパイアハンターの範疇外の仕事は、誰にどれほど頭を下げられても決して請け負わなかった。
 なのに、奴らが係わらない ―― 自らの目的の為には何の役にも立たない事件でも、彼女から依頼された任務は結局の処全部引き受け、片付けている。
 “天使の勇者”など似合わないと、今でもそう呼ばれることに違和感を感じているのに、それが自分自身でも不思議だった。

 あの、地上の人間以上にお人好しな天使を一応、信用はしている。
 ただしそれは彼女が、“天使”だからではない。それなりにではあるが、“アリア”に対してだ。
 大体、天使というだけで言動の全てが信じられるとは限らない。
 天上に生まれた者が例外なく善良であるならば、そもそも堕天使 ―― 悪魔など存在し得ないのだから。

      ―― アリア ――

 その名が、不意に自分の中に浮かぶたびに。
 何故か必ず同時に、彼女の笑顔を思い出す。
 感情の連鎖は掴み切れないままに広がって、様々な波紋を描いていく。
 それは、
 怒りに満ちた心が一瞬凪ぐような、それでいて、
 どう足掻いても叶わない希みを抱(いだ)いた苦い過去にも似て。
 ………この気持ちは何なのだろう?

 そしてまた、
 知らぬ間に空を仰いで。

 ふと、思う。

      君は今、何処にいる…?

 ―― それが、“逢いたい”と同義であると気付かぬまま。
 紫石英の瞳が映す雲一つない夜の空にあるのは、小さな輝きを灯す星達のみで。
 どうやら天使が呼び掛けるやわらかな声を今夜、聞くことはなさそうだった。

      けれど無意識の一番奥で、
      本当は、……判っている。

      待っているのは、

      この胸に巣食う常闇にさえいつも、
      手を差し伸べてくれる、―――“光の女神”。

fin.

2002,11,04

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