天使の影響で興味を持ち始めた、各地の歴史や伝承が書かれた本を読む。
きりのいい処でふと目を上げる。話し掛けるタイミングを見計らっていたのか、アリアが隣に来て微笑った。
「クライヴ、お風呂の用意ができてます。お先にどうぞ」
「ありがとう」
立ち上がり、ふんわりとした手触りのバスタオルを受け取る。
ふたりで暮らす穏やかな日々のなか、アリアの纏う空気は以前にも増してやわらかくなっている。
それでいて家事はてきぱきとこなしていくのに時折驚かされるが、二つの世界を護った天使の手際の良さに今更感心するというのも、失礼な話なのかもしれない。
そんな彼女の、分かりやすく可愛らしい弱点が…。
「今日は一緒に入るか?」
「えっ!?」
わざと何気ない口調で誘うと、金の髪が大きく揺れて振り返る。
手にしていた編み物の籠から転がり落ちた紺色の玉をあたふたと拾ったアリアは、半分背を向けたまま小声で続けた。
「……支度をするので、先に入っていてください」
「あ、ああ」
まさかの返答に、照れて狼狽える様子が見たかっただけとは最早言い出せない。
想定外の展開に寧ろこちらの方が動揺し、平静を装いながらも内心そわそわしつつクライヴは浴室へと向かった。
細い背中を後ろから抱きかかえ、ふたりで湯に浸かる。
こうして髪を上げた首筋を眺めるのは新鮮で、ちょっとした戯れ言のつもりが嬉しい誤算になる。
密かにクライヴがこの状況を満喫してる一方で、腕の中にいる恋人は楽しむ余裕などなさそうだった。
「アリア、ずっと身体を硬くしていたら疲れてしまうぞ」
「だ、だって、緊張して…」
寝室で愛し合う時は彼女の希望で、いつもサイドテーブルの仄かな灯りのみ点けている。
天使だった頃、露出のほぼない服装をしていたせいもあるのだろう。相手がクライヴであっても、明るい場所で裸を見せるのは未だ抵抗があるらしい。
だからこそ、断られるのを前提にしていたのだが…。
「君が一緒に入ってくれるとは思わなかった」
「でも同居していたら、ふたりでお風呂に入るのはよくあるんですよね?」
「俺も一般的にどうかは知らないが…」
「………」
「………」
揃って無言で見つめ合った数秒後。
「え、あの、…えっと、……私はやっぱり後で…!」
表情に浮かぶ疑問符が感嘆符に変わった瞬間、即座に前を向いたアリアは慌てて腰を浮かせる。
勢い余ってよろけた上半身を両手で支え、ひとまず引き戻す。
しぶきが跳ねて水音が響き、バスタブに広がる波。
湯面が落ち着くまでの間に腹をくくったのか、おずおずとまだ緊張の残る背中が再び預けられた。
「……ごめんなさい。
自分がこういうことに疎いのは分かっているんですが、人に聞くのも恥ずかしいし、なかなか慣れることもできなくて…」
「気にしなくていい。今回は誤解させた俺が悪かった。
―― ただ、」
改めて肩をゆっくりと抱き竦め、やさしく頬に頬を寄せる。
「俺は君と入れて嬉しい」
「クライヴ…」
「また誘ってもいいか?」
「た、たまに、なら…」
「ああ、それ充分だ」
静かに顎に手を添え、軽く啄むキスを幾度も繰り返す。
淡く重ねるごとに、互いの肌が甘く熱を持っていく。
けれど自分自身さえ焦らすよう、ここで敢えて深くは進めずに、
「続きはベッドで、な…」
唇を離し、耳元で低く囁いて。
クライヴは伏し目がちに小さく頷いた項にそっと口付けた。
fin.
2015,02,16
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