逢瀬

 面会希望を告げると、天使はすぐにクライヴの滞在する宿にやって来た。
 いつものように出迎える。にこやかな挨拶の後、しかしアリアは不意に表情を曇らせた。
「…あの、クライヴ、……何かあったのですか?」
 あまりに心配げな様子に、どう答えればいいのか分からず戸惑う。
 だが、しばらくして思い至る。
 妖精を通じて彼女を呼び出すということは、勇者として天使に用向きがある、ということなのだと。
 しかもこれまでの面会は、彼にとって徒ならぬ時ばかりだった。アリアが不安になるのも無理はない。
「いや、そういうわけじゃない…。
 ……ただ」
 君に、
「逢いたくて…」
「―――」
 予想だにしない理由だったのだろう。天使の顔から憂いは消えたものの、代わりに驚きが沈黙となってふたりの間に降りる。
 公私混同だと、呆れられてしまうだろうか…?
 そんな慙愧が訪問の喜びを塗り潰しかけたが、返ってきたのは意外にも、はにかんだ愛くるしい笑顔だった。
「……私も、逢いたかったです。
 今は少し、落ち着いているんです。だから明け方まで、…ここにいてもいいですか?」
「ああ。そうしてくれると嬉しい…」
 これが、最大の嵐の前の静けさでしかないことは、互いによく分かっている。
 けれどその仮初めの平穏を、束の間でも分かち合いたくて…。
 クライヴはゆっくりと、愛する少女(ひと)を腕の中に包み込んだ。

 飾り気のない椅子に並んで座り、両翼を消した華奢な肩をやさしく抱き寄せる。
 もう一方の手を膝の上で重ねて見つめ合い、時折思い出したように、二言三言の短い会話を交わす。
 話が弾んでいるとは言い難かったが、心は充分に満たされていた。
 それが独り善がりでないことは、幸せそうなアズュアブルーの瞳で分かる。
 だが限られた至福の時間(とき)は、体感的には驚くほど早く過ぎ去ってしまう。
 静やかな夜鳥の声はいつのまにか消え、空にも徐々に、黎明の気配が近づき始める。
 同じようにガラスの向こう側を見遣ったアリアが、夜明けですね、と小さく呟いた。
 ほんの少し俯くと、気持ちを切り替える為だろう、深呼吸を一つして。
 程なく天使は顔を上げたが、そこには隠し切れない淋しさが揺れていた。
「戻ります…」
「……ああ」
 このまま全てを、閉じ込めてしまいたい。
 一瞬のうちに膨れ上がる独占欲を、喉の奥で押し殺す。
 君は、何かあればこうして、駆け付けて来てくれる。
 未来へと続く約束も、確かな繋がりを信じられる眼差しも、以前は、望むべくもなかったものなのに…。
 想いは、叶うほど時として止め処なく。知らぬ間に飽くことなく、欲してしまいそうになるから。
 愛しさが逆に、大切な存在(ひと)を苦しめ、傷つける刃とならないように。希みと我意と境目は自ら線を引くべきなのだと、クライヴは改めて自制した。
 腕をほどき、一緒に立ち上がる。
 そして大きく開けた窓の外で、辞去の前に振り返った恋人の細い指にそっと触れた。
「―― アリア、……ありがとう…」
「………」
 幾度か開きかけた桜色の唇は、僅かに潤んだ睛眸と伴に、言葉を紡ぐことなく閉じられる。
 アリアは両方の手で彼の手をぎゅっと握り返すと、無言のままそれでも精一杯微笑って会釈した。
 離れたくない、切なさはきっと同じで。
 天に帰る翼を見送る時は、届かぬ願いを抱(いだ)いていると思っていた頃よりも今の方が、胸が痛むけれど。
 これはおそらく、甘んじて受け入れなければならないものなのだろう。
 立場上本来は赦されないのかもしれない、温もりをすぐ傍に感じていられる逢瀬(ひととき)を、だからこそ毅さへと変えていく為に。
 堕天使との戦いを終えた後、彼女の手を、誰にも何にも恥じることなく、取ることができるように…。
 羽ばたきの音も遠く去り、また一人きりになった部屋の中へと忍び込む寂寥感に、軽く首を振る。
 もう一度、乳白色の靄に霞む空を見上げると、クライヴは静かに窓を閉めた。

fin.

2006,03,26

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