お前が、自分の生まれた日を、心から嬉しいと思える時が来るように。
その人が生まれた日を、大切に想う。そんな存在と巡り逢えるように。
いつでも、祈っているから…。
天界の回復アイテムを届ける為に訪れた天使を、クライヴはやや緊張した面持ちで迎え入れた。
アリアが、傍にいてほしいという彼の願いに応えたのは、数日前の夜だった。会うのはそれ以来になる。
けれどすぐに、空の色をした瞳の中にある、彼にだけ向けられた想いを見付けて、クライヴの表情からも微かに浮かんでいたぎこちなさが消えた。
「そういえば、もうすぐ君の誕生日だな」
「どうして知っているんですか?」
確かに今まで、彼女とそんな話をしたことはない。驚いて問い返す様子に微苦笑しつつ、以前妖精から聞いたのだと説明すると、そうだったんですか、と納得した天使は再び笑顔を見せる。
それからアリアはふと、はにかむように小さく首を傾げた。
「クライヴが私の誕生日を覚えていてくれたなんて、すごく嬉しいです」
「―――」
愛らしい仕種に、クライヴは思わず天使を腕の中へと抱き寄せる。
かなり衝動的な行動だったが、程なくして、ほんの少し躊躇いながらも仄かに紅く染まる頬を胸に預けてくれたアリアに、彼もまた瞳を和ませた。
「二二日は僅かな時間でも、一緒に過ごせるといいな…」
「…はい」
こちらを見上げたアリアが頷くまでに、一瞬の間があった。
だがそれは、彼が“一緒に過ごそう”と言えなかったのと同じ理由だと分かっていた。
だから敢えてそれ以上は言葉を続けずに、ただそっとやわらかな金の髪に触れた。
天竜の復活後、堕天使は表立って姿を現してはいない。
しかし甘言に踊らされた者達の引き起こす混乱の影で、着々と魔の力を蓄えているのだろう。
火急の事態は、いつ発生してもおかしくなかった。
そんな状況下では、どんなに守りたくても、不可抗力で破らざるを得ないかもしれない約束は、互いにとって重荷になるだけだ。
それでもせめて、“誕生日おめでとう”の一言は直接、伝えることができるようにと願う。
これまで誰かの生まれた日を、こんな風に特別に感じたことはなかった。
春の陽射しと風に、降り積もった雪が溶け、水が温むように。
“アリア”という存在(いのち)の全てを愛おしむことで、いつのまにか、心に張り巡らされていた厚い氷が消えていく。
時折自分自身でさえも、その変化に戸惑うほどに。
幼い頃、誕生日など来なければいいと言い捨てた真冬のある日、養父がくれた言葉がどんなに、深いものだったのか…。十数年以上経ってようやく、それを思い識る。
そして最近になって後一つ、彼女と過ごす短いがやさしい時間が、気付かせてくれたことがある。
この身に流れる血への恐れと苦痛から逃れる術(すべ)は、死以外にない。ずっとそう思っていた。
そんな中でも辛うじて自ら命を絶つことを選ばずにいられたのは、養父母と師が、呪われた出生を知りながらも、あくまでも人間(ひと)として接し続けていてくれたからだ。
一度も感謝を、伝えることはできなかった。
もう、その魂が安らかに眠ることを、祈ることしかできないけれど。
それでも僅かでも、想いが、大切な存在(ひと)達に届くのなら。
ありがとう、と ――― 。
「…クライヴ?」
おそらく、これまで見せたことのない表情(かお)をしていたのだろう。
紫紺の双眸をじっと見つめていたアリアが、控えめに彼の名を口にする。
クライヴはそれに、ごく自然に笑みを返した。
「ああ、すまない。ちょっと昔のことを思い出していた」
「今度、クライヴが子供の頃の話を聞かせてもらえませんか…?」
「そうだな…」
静かに答えた後で、微笑む天使の髪に唇で軽く触れるように抱きしめて。
心にある感情(おもい)を言葉にすることはまだ、不慣れだけれど。
凍りついた想い出(とき)も、君に語ることできっと、息を吹き返すから。
そして、
胸の奥に宿る穏やかな祈りもいつか、君に話すことができるように…。
fin.
2004,02,22
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