Remembrance

 アリアと暮らし始めて数日。
 ふたりで改めて家の中を見て回り、足りない物を調べながら、問題なく使える物、修理や修繕がいる物、買い替えが必要な物の分類もしていく。
 養父母との思い出の品を持たない分、師がよく使っていた物はなるべく残したい。
 もちろんアリアと相談のうえでだが…。
 思案しつつ、最後に居間のチェストを確認する。
 簡素な二段のチェストには、師が時折仕事の書き付けなどを放り込んでいたが、クライヴはその中身に触れたことがなかった。
「作りがしっかりしていますし、上の取っ手を直せば大丈夫ですね。開けてもいいですか?」
「ああ。個人的な物は入っていないはずだ」
 アリアが歪んで傾いている取っ手を慎重に引くと、案の定、そこには地図や報酬の覚書きが数枚あるだけだった。
 そういえば、師はいつも上の引き出しを使っていた。
 下はおそらく空だろうと開けてみると、そちらは予想に反し、黄ばんだ封筒が一通入っていた。
 師が手紙のやり取りをしていた相手に心当たりはない。自分が見ても良いのか迷いながら表を向けたクライヴは、記された宛名に息を呑んだ。

   クライヴへ

 何年ぶりだろうと、見間違えるわけがない。
 この、癖のある筆跡は……。
「師の字だ…」
「……私、席を外しましょうか?」
「いや、一緒にいてほしい…」
 師弟の間に立ち入るのを遠慮したのか、小声で問うアリアに、ゆっくりと首を振る。
 情けないが、師からの初めての手紙に動揺し、一人で開封する勇気がなかった。
 ソファーへ移動し、僅かに震える手で封を開くと、飾り気のない便箋に、

   お前は俺の自慢の弟子だ

 たった一言、そう書かれていた。
「……まさか師が、俺を自慢に思ってくれていたなんてな…」
 師は常に淡々としていたが、同情や憐憫を含まない言動は、同時に救いでもあった。
 仇を討つ為に強くなるのだと一心不乱に修行することで、哀しみや怒りに何とか圧し潰されずに済んだ。
 外に出られない特殊な環境で育ったひ弱な子供が数年で、一人前と呼べるほどのヴァンパイアハンターの技量を身に付けられたのは、孤児だろうと特別扱いはしない、厳しい修行のおかげだった。
「アーウィンも、俺にとって自慢の師だ。
 だが俺はそれを…師に伝えられなかった…」
 便箋をテーブルの上に置き、ぽつりと呟く。
 生前、最低限の会話しかしなかった師と、もっと話せていればとこれほど悔やんだことはなかった。
「お師匠様は、クライヴの気持ちに気付いていたと思います。
 だからこうして、手紙を書かれたんじゃないでしょうか」
「だと、いいな…」
 こういう時、アリアは安易な気休めを口にはしない。
 師に認められていた嬉しさと、もう届かない悔恨が渦巻く胸の内は、静かな肯定により次第に和いでいく。
 クライヴは再び、素っ気なくも見える筆致で遺された言葉を噛み締めた。
 これがいつ書かれたのか、何故ここに入っていたのか、知る術はない。
 ただ、師事していた頃に直接言われたとしても、きっとありのまま受け取れはしなかった。
 察していたからこそ、自分が先に命を落とせばまた独りになる弟子に真意を告げる手段として、筆まめでもなかった師が敢えて、“手紙”を選んだのかもしれない。
 もしかしたら、師亡き後、複雑な感情があったとしても簡単にこの家や家具を手放しはしないと、けれど心に余裕がないうちは自ら進んで師の私物に触れたりはしないと、それすら予見していたのだろうか…?
 だとすれば、いつか闇の血に打ち克つことも、願っていてくれたのだろう。
 実際、無意識にではあるが、チェストは今まで開けようともしていなかった。
 そして今日、師が遺したものと自然に向き合えたのは…。

 ―― 君が隣にいてくれたから、
 確かにあった師弟愛(おもい)を、素直に受けとめることができた……。

 視界を滲ませた滴が零れ落ちる前に、額を小さな肩に預ける。
 そっと髪を梳くやさしい感触に瞼を伏せたクライヴは、初陣で目の当たりにした師の強さと、見上げた背中の大きさを思い出していた。

fin.

2024,05,24

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