sacrifice

 騒ぎが収まるまで、ここで静かに、じっとしているんだよ。

 そう言われた自室の扉を開けたのは、待ち望んだやさしい手ではなく、厳つい顔の見知らぬ大男だった。
 それが何者なのかよりも、養父母の安否が気になって急いで駆け出す。
 しかし廊下を一歩進んだ処で、クライヴは息を呑み足を止めた。
 夥しく広がる鮮血。そこに余りにも無造作に転がされている、小柄な二つの身体。
 ぐらりと、視界が一面の朱(あけ)に揺さぶられて、そのまま倒れ込みそうになる。
 確かに、争う声や大きな物音は耳にしていた。すぐにでも飛び出したいのを堪え、吸血鬼達が自分を見付けられずにいるのが、二人が無事でいる証だと信じていたのに…。
 よろけながら養父母の傍に行き、膝を突く。
 よく頭を撫でてくれた、不安な時そっと抱きしめてくれた、老いた腕は今も、温かいのに。
 その両目(め)は二度と、開かなくて……。
 哀しくて苦しくて、―― 申し訳なくて、涙さえ出ない。
 濃い血の匂いに、吐き気がする。
 だが自分は、この匂いを甘美とし、嬉々として人間を襲う魔物を父に持つ。
 二人は、自分が殺したも同然なのだという気がした。

 やはりあの時、殺しておけば良かったんだ!
 責任を取って、次はお前達が贄になれ!

 無意識の逃避なのか五感が半ば麻痺していく中、総出で家を取り囲んでいた村人達の罵声が、耳の奥で耳鳴(じめい)のように遠く繰り返される。
 形振り構わず保身に汲々としていたものの、結局全員、アンデッドどもの餌食になったのだろう。
 あれほど喧騒に満ちていた外も、いつのまにか異様なまでに静まり返っていた。
 身寄りのない、庇う者の少ない女(ひと)を生贄(ぎせい)にして、のうのうと生き延びたくせに。偶然、余所から攫われた娘達と一緒にハンターに救われて戻ってきた母を、『吸血鬼など村には置けない』と、いとも簡単に斬り殺して墓場に捨てた。
 そんな身勝手な連中がどんな目に遭おうと、正直、どうでも良かった。
 でも、
 村で唯一、不死族の王に捧げられた母の死を悼んでくれていた。
 半魔の自分を、周囲の白眼視や罵詈雑言も意に介さず、実子のように孫のように、慈しみ育ててくれた。
 二人の為になら、何だってしたかったのに…。
「生き残ったのは、お前だけのようだな」
 低く太い声にようやく先程の男の存在を思い出し、振り返る。
 不審を顕わにした眼差しにも男は全く動じず、しかし視線の意味は覚ったのか、寧ろこちらが怯むほど抑揚のない語調で続けた。
「俺はヴァンパイアハンターだ。ここの襲撃には、間に合わなかったがな。
 とりあえずお前は、近くの教会にでも連れて行く。ここでは暮らせないだろう」
「―――」
 自分は独りになったのだと、改めて気付かされた瞬間に、哀傷は別のものへと姿を変える。
 一息の間(ま)に身体中を支配する、猛り狂う感情が喉を締め付ける。
 呼吸もままならず、クライヴは床に蹲るように胸を押さえた。
「―― 僕は、……俺は、教会になんて行かない。
 ハンターになって、奴らを残らず殺してやる…。俺は奴らを、絶対に許さない……」
 おそらく養父母(ふたり)は、敵討ちなど望んではいない。
 本当は男の言う通り教会等に身を寄せて、できるだけアンデッドに係わらず、静かに生きていった方がいいのだろう。
 判っている。―― それでも。
 闇から伸びた牙と爪に、唐突に、冷たい孤独へと突き落とされた。寄る辺を失くした心が、取れる道は他になくて ――― 。
「……お前の事情は俺には関係ない。だから、同情も甘やかしもしない。
 それでいいなら、付いて来い…」
「………」
 やさしさも温もりも、もう要らない。
 今必要なのは、奴らに相対する力だけだ。
 両方の手のひらの上で、大切な人達の血が乾いていく。
 そのまだ幼い手に戦う術(すべ)を得る為に立ち上がった少年の瞳には、激しく滾る、凍えた怒りが深く沈んでいた。

fin.

2006,10,22

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