白き花の香に寄せて

 まるで天にも祝福されているような、小春日和の午後。
 久しぶりに、軽く腕を組んで歩いていく。
 人間(ひと)として初めての誕生日をふたりで過ごせる。それが掛け値なしに、嬉しくて仕方ない。
 心なしか声もはしゃいでいる恋人の横顔が愛らしく映るのと同時に、落胆させてしまうかもしれないという懸念がちらりと、クライヴの胸を掠めた。

   欲しいものは決まったか?

 「おめでとう」に続けた一年越しの問いに、アリアは慌てた時の癖で何度もしどろもどろに言葉に詰まり、返ってきたのはやはり、「ごめんなさい…」の一言だった。
 彼女は普段約束を蔑ろにすることはないが、この問いに関しては十中八九、こうなるだろうと予想していた。
 気にすることはない。そう言い、笑顔が一転、自己嫌悪でしゅんとしてしまった小柄な背中を抱き寄せる。

   なら、俺の選んだものでいいか?

 日付が今日になったばかりのそんなやり取りを経て、伴にやって来たのが、街の南の外れだった。
 角を曲がると、質素な門に続く道に沿って、濃い緑の若木が数本植えられている。
 特徴的な樹葉の影に、ひっそりと身を隠す純白の花弁。予め存在を知らなければ、それは夜のうちに人知れず降った少し早い初雪の名残りの如く、目を引くものとは言い難い。
 けれどアリアは、彼が自分をここに連れてきた理由をすぐに察したのだろう。
 葉を囲む刺に気を付けながら花の香りを確かめると、相好を崩して振り向いた。
「これ、柊ですよね?」
「ああ。前に、木に咲く花が好きだと言っていただろう…?
 ……だが今見ると、覚えていたよりも随分地味だな…」
 結果として、先刻の危惧が別の形で現実になってしまった。
 声音にも含まれていた自嘲に、しかし天使は、彼の手を取るとゆっくり首を振った。
「葉のイメージと違って、柊って可愛らしい、上品な香りの花が咲くんですね。
 大好きな花が、またひとつ増えました。
 ……あの、クライヴは以前から、この花を知っていたんですか?」
「ああ…。
 子供の頃に一度、見たことがあるだけだが…」
 特異な体質と村人達の冷遇もあり、家から出ることもままならない養い子を、養父母は常々、不憫に思っていたのかもしれない。
 十月も末の、小雨模様の肌寒い日を敢えて選んで、こっそり村の外へと連れ出してくれた。
 それまで、自分が行きたいように自由に歩くことすら、満足にしたことがなかった。
 その、初めて尽くしの道行きの途中で見付けたのが、周囲から取り残されたようにぽつんと自生している、まだ背の低い一本の常緑樹だった。
 他者を寄せ付けない無数の鋭い刺と、打ち薫る楚々とした花。
 相反する姿は、ごく限られた世界しか知らない両目(め)には、最初は酷く奇妙なものに見えた。
 腑に落ちないでいる様子が伝わったのだろうか。養父が穏やかに、『柊』の名と、葉が魔除けになり、香りが異形の者に怯える心を鎮めるという、古い言い伝えを教えてくれた。
 そして養母は、じゃあ今度うちの庭にも植えましょうと、にこやかに微笑んでいた。
 アンデッドの襲撃で、それは結局、叶わずに終わったのだが…。
「実際には、奴らは柊を恐れない。でも、彼らなりに精一杯、俺を護ろうとしてくれていたのだと思う…。
 ここに柊が植えられていると聞いて、花の時期に、君と一緒に来たいと思っていた。
 ……すまない。なんだか、俺の都合ばかりだな…。
 もう戻って、」
 何処かの店に、と続けようとしたが、不意にアリアが俯いたまま、勢いよく彼の胸に顔を埋める。
 街中は疎か家でも、彼女が自ら、こんな風に抱きついてくることはあまりない。
 予期せぬ行動に思わず狼狽えつつもそっと名を呼ぶと、腕の中で、声を押し殺す微かな吐息が聞こえた。
「―― ごめんなさい、いまクライヴの顔を見たら、泣いてしまいそうで…。
 おじいさまとおばあさまは、クライヴを本当に…、愛されていたんですね。
 今日、ふたりでこの花を見られて、すごく嬉しいです」
 ありがとうございます。潤んだアズュアブルーの瞳が、こちらを見つめて微笑う。
 またすぐに眼差しは伏せられて、見えない表情を代弁するように、両方の手がぎゅっと背中に触れた。
「―――」

      君に、喜んでほしかった。

      真摯な、だが不器用な想いを、
      君はもっと深いところで受け止めて、
      温かで、やさしい感情(もの)に変えてくれる。

 礼を言うべきなのは、こちらの方なのかもしれない。
 ありがとう。
 忘れかけていた言葉も自然に口に出せるのは、君に出逢えたからだから……。

      闇と血の色に、塗り潰されてしまった過去。
      決してやり直すことの出来ない時間も、
      君の存在(なか)で浄化されて、その意味を変えていく。

 そうしてやわらかな手触りを得て、もう一度心に還る想い出(とき)。
 巡りめぐり…、それを君への、絶え間ない愛しさに変えていくことがきっと、一番の謝意になる。
 そう信じて、クライヴは静かに、地上の誰よりも幸せにしたい、天使の肩を抱きしめた。

 君が生まれた日を、地上(ここ)で祝える。
 そのことをどうか、これから先もずっと、感謝できるように ――― 。

 大切に繋ぐ願いを、慎ましく香る、初冬の白き花に託して。

fin.

2007,02,17

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