所用を済ませて戻り、玄関のドアを開けるとすぐに、軽い足音が聞こえてくる。
夕食の支度を始めていたのだろうか。エプロン姿で駆け寄ってきたアリアは、眩い笑顔でクライヴを出迎えた。
「おかえりなさい」
「ただいま。
上機嫌だな。どうした?」
「こうして『おかえりなさい』と『ただいま』を言い合えるのは、クライヴの家が私の家でもあるんだって…。
改めて実感して、なんだかすごく嬉しくなってしまいました」
合わせた両手を胸に置き、僅かに首を傾げる。
可憐な仕種と噛み締める口調に、交わした一言が深く心に響いていく。
じんわりと湧き上がる温かい気持ちに、自然とクライヴもやわらかく目を細めた。
「そう考えると、幸せな言葉だな」
こうして新しい捉え方(いみ)を識るのは、もう何度目になるだろう…?
もしもあのまま独りでいたなら、一生関心さえ持たなかったに違いない。
そっと右手を伸ばし、頬を撫でる。
「君はいつも、俺が見落としていたものを教えてくれる」
「私はクライヴがいてくれたから、気付けたことがたくさんあります。
ふたりで暮らす毎日を重ねたら、嬉しいことがきっともっと見付かりますね」
にこにこしながら見上げてくる瞳が、堪らなく愛くるしい。
「アリア…」
緩やかに頬に掛かる髪をひと房掬う。
囁くように名を呼び、甘い雰囲気(くうき)に包まれたのも束の間、
「あ、お鍋の様子を見なきゃ!
ごめんなさい、キッチンに戻りますね」
アリアは慌てて背を向け、抱きしめかけた腕を擦り抜けていく。
揺れて遠ざかる、結んだエプロンの紐を為す術もなく眺め、続いて行き場を失った左腕を眺める。
浮かんだ苦笑は、しかし程なくして消えた。
以前は“逢瀬”だった恋人として過ごす時間が“生活”になれば、四六時中見つめ合っているわけにもいかない。
けれどこれは、とても幸福な変化なのだと…。
かつては空の遥か先にあり、目にすることも叶わなかった、愛する存在(ひと)の住む世界。でも今はここが、ふたりの家だ。
満ち足りた表情でゆっくりと腕を下ろして。
支度を手伝う為、クライヴも足早にキッチンへと向かった。
fin.
2016,09,22
現在文字数 0文字