一通り目を通した新聞を畳み、ソファ横のラックに入れる。
壁の時計は三時過ぎ。
小説を読んでいるアリアもそろそろ読了する頃かと隣を見遣ったクライヴは、涙が伝う横顔に息を呑んだ。
ハンカチを取り出す一瞬も惜しいのか、ぽたぽたと雫が服に落ちるのも構わず、次のページが捲られる。
「………」
愛おしく甦る初冬の夜に胸が熱くなり、今すぐ抱き寄せたい衝動をなんとか飲み込む。
彼女が入り込んでいる世界を壊さぬよう、さりげなくテーブルに自分のハンカチを置き、クライヴは静かにキッチンへと向かった。
アリアが一番好きな春摘みか、気持ちが昂ぶった後なら、甘いミルクティーの方がいいだろうか…?
戸棚に並ぶ紅茶の缶を眺めつつ思案する。
いや、どんな内容で泣いているのか知らないのだから、変に先回りせず、飲みたいお茶を訊くべきか。
少なくとも、悲劇ではないはずだが…。
先刻の様子と初めて見た嬉し涙を再び重ね合わせ、想いを巡らせる。
俺は、君にできることなど何もない…。
でも、言わせてくれ…。
闇の血を抱えたまま、愛情以外約束もできず。光の化身のような天使に、人間になって傍にいてほしいと願う。
見方によっては、大胆とも言える告白だった。
実際にはただ、取り繕う余裕すらなかっただけだけれど…。
「クライヴ」
控えめな呼び掛けに振り向く。
「読み終わったのか?」
「はい。ハンカチ、ありがとうございます」
やや赤い目ではにかむ恋人に、穏やかに笑い返す。
互いに歩み寄る間に聞こえた長い吐息が、まだ覚めやらぬ余韻を物語っていた。
「たまたま目的地が同じだった異種族の二人が、一緒に旅をするお話なんです。
旅の終わりで、何もできないけどこれからも傍にいたいという台詞があって…。
いろいろ思い出して、すごく感情移入してしま……」
また感極まったのか、途中でアリアはハンカチで目頭を押さえ俯く。
クライヴはゆっくりと、かつて純白の翼があった小さな背中を包み込んだ。
決して急かさず、泣き止むのをじっと待つ。
そして落ち着いた頃を見計らい、抑え気味に尋ねた。
「……アリア、俺は君に何か…できているか?」
「はい。たくさんの、本当のたくさんの幸せをもらっています」
地上に残りたい、あなたの傍にいたいと…。頬を濡らし応えてくれた時と変わらない微笑み。
「そうか。なら、良かった…」
言葉そのものの笑顔に不意に泣きそうになり、そんな表情を見られるのが照れくさくて、肩をぎゅっと抱き竦める。
僅かだが震えた声音に気付いたのか細い両腕が回され、ひとつに溶けていくやさしい温もり。
心を充たす安堵と歓びに、そっとクライヴは目を伏せた。
君に何ができるのか。
それはきっとこの先も、自分に問い続けていくのだろう。
自虐や負い目ではなく。
澄んだ青空を映す瞳が曇らぬように。
流す涙が、幸せなものである為に。
fin.
2017,05,29
現在文字数 0文字