Truly

 三度目か…。
 何かを言おうとしてはやめる。そんな天使の様子に、クライヴは気付かれぬよう小さく息をついた。
 今日のアリアは珍しく、訪ねてきた時から何処か上の空だった。
 その心の内を占めているのは、それほどに重く、かつ喜ばしくない話(こと)なのだろうか…?
 たとえそれがどんな内容であっても、激情に任せた言動で彼女を傷つけてしまうことだけはないように…。
 クライヴは予め自らにそう言い聞かせた上で、不安げに揺らぐ空色の瞳を見遣った。
「…アリア。何か俺に話があるのか?」
 あくまでも普段と変わらない口調で問い掛けると、今夜初めて天使と目が合う。
 表情に未だ迷いの色を残しながらも、「はい」とアリアは伏し目がちに頷いた。
「―― ヴァスティールのことです」
「…奴がどうした?」
 アリアがレイブンルフトを敢えて勇者であった頃の名で呼んだことで、クライヴは、何故彼女があれほど躊躇していたのかを理解する。
 “ヴァスティール”。―― それは、聖母の記憶を継いだセシアから真相を聞いて以来、ふたりが半ば無意識に、口にするのを避けていた名前なのだから。
「彼がアンデッドの王へと変貌したことに、天界は深く係わっています。
 …それは同時に、あなたが強大な魔の血にこれまでずっと苦しんできたことに対して、天界には少なからず責がある、ということです…」
「………」
「……それでもあなたは天界を、そこで生きてきた私を、……赦してくれますか…?」
 まっすぐに彼を見つめる双眸。震えてしまうのを抑える為の、いつもよりやや低い声。
 一千年前から続く負の鎖を、過去のことと割り切ってしまうには彼女はやさしすぎて。そして、見て見ぬ振りで無かったことにはできない、毅さを併せ持っている。
 それ故にアリアは、辛いと分かっていながら、事実に不器用なほど誠実に向き合っている。
 だからこそクライヴも、耳障りの良い言葉で一時の安心を与えるより、今自分の中にある正直な思いを伝えることを選んだ。
「―― 確かに奴には、天界の救いが必要だったのかもしれない…」
「………」
 天使はやはり視線を逸らさず、彼の答えを受け止める。
 だがそこに一瞬落ちた微かな翳りを、クライヴは見逃さなかった。
 後悔に傾きかけた心をどうにか押し止(とど)めて。
 そっと、愛しい恋人の頬に触れた。
「でも俺は、君に出逢えたから、…それでいい」
「……クラ…イヴ…?」
「闇に囚われていた俺の心に、暖かな光をくれたのは君だ。俺にとってその真実は、何物にも替え難い…。
 赦す赦さないではなく、それが、君を大切に想う理由では駄目か…?」
「―――」
 緊迫した空気はいつしか、穏やかに過ぎる夜風の中へと消えていく。
 ただ一心に彼を見つめる眼差し。返答(こたえ)はなくても、彼の真意(おもい)は間違いなく、その瞳に届いていた。
 が、次の瞬間、不意に俯いたアリアは、頬に添えられている手をまるで擦り抜けるように彼に背を向けてしまう。
 しかしクライヴはすぐに訳を察し、微苦笑と伴に落ち着いた足取りで歩き出す。
 改めてゆっくりと正面に向き直ると、案の定、天使は必死に嗚咽を堪えていた。
「アリア…」
「…ごめ…なさ……」
「君が謝ることなど何もない…」
「……ク…ライ…ッ…」
 今まで相当に気を詰めていたのだろう。堰を切ったように泣き出してしまったアリアを、やさしく腕の中へと引き寄せる。
 そのまま、クライヴも静かに目を伏せた。

 天界は決して万能ではなく。
 ヴァスティールも、一千年前の戦いの犠牲者だ。
 ―― だとしてもそれは、レイブンルフトが何百年にも渡って繰り広げた、残虐な殺戮を正当化する理由とは成り得ない。
 また地上とて、被害を受けているだけの立場ではない。
 悪魔の暗躍の根底には、奴らに居心地の良い場所を提供している、私利私欲に目が眩んだ者達の存在があるのだから…。
 それらを今は、事実として冷静に受け入れることができる。
 その上で、全ての元凶である堕天使と天竜は、必ず倒さねばならないという思いを新たにした。

 そして、―― どうか、

      これから先、君が、痛みや哀しみに、
      ひとりきりで泣くことがないように。

      天界と悪魔と地上。
      複雑に絡み合う過去と現在(いま)。

      もしも再び迷う時があったなら、この想いが、
      君を支えるひとつの真実(ちから)になるように……。

 けれど口にしてしまうとそれは、ともすれば押し付けになりそうで。
 確かな温もりと触れた腕の強さが、拙い言葉の代わりになることを願いながら。
 細い身体を、クライヴはもう一度、少しきついくらいにしっかりと抱きしめた。

fin.

2004,09,26

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