珍しく街の小さなレストランで昼食を取った帰り道。
賑わう通りを抜けたところで聞こえた溜息に、クライヴは恋人の顔を覗き込んだ。
「気分が悪くなったのか?」
「え?」
どうやら無意識だったらしい。足を止めたアリアは慌てた様子で、ごめんなさいと呟いた。
「……違うんです。
えっと、…あの人、綺麗でしたね」
「?」
思い当たる節がなく、肯定も否定もできない。
その反応に何処か安堵を滲ませて和んだ瞳は、またすぐに憂いを帯びた。
「さっき道を尋ねられた女性です。
美人でスタイルが良くて、話し方も知的で、クライヴと並ぶと絵になるなって…」
意外過ぎる理由に言葉が見付からない。
同棲を始めて以来、“天使の笑顔”に魅了される男達に内心気を揉んだのは、一度や二度ではない。
不信ではなく独占欲に近い感情は、しかし彼女には無縁なものだと勝手に決めつけていた。
驚きが嬉しさになり、緩みかけた口元を咄嗟に手で覆ったのが、寧ろ逆効果になってしまう。
不思議そうに小首を傾げる純粋な眼差しに嘘はつけず、正直に吐露するしかなかった。
「すまない。まさか君が焼きもちを焼くとは思わなくて…」
「これ、焼きもちなんですね。
……じゃあ以前、クレージュの姫に感じたのも…」
クレージュ公国の姫。人間だった頃の容姿はほとんど覚えていない。
唯一印象に残っているのは、魔物と化してまで表面的な美しさを求めた、醜悪な姿だ。
天使がそんな女に妬く必要は欠片もないはずなのだが…。
「姫がクライヴを誘惑しているのを見て、胸がすごくもやもやしたんです。
何故なのか、ずっと分からなかったんですが…」
近づく蹄と車輪の音に語尾が掻き消される。
家で落ち着いて話した方がいいのかもしれないが、先が気になって仕方ない。
荷馬車が追い越していったタイミングで再び歩き出し、自ら続きを切り出した。
「あれは君と出会って、まだ一年も経っていなかっただろう?」
「ええ。半年、…いえ、もう少し後で、秋くらいですね」
「君は、……その、…いつから俺を…?」
なんとなく訊く機会を逸していたが、少なくとも昨夏以降だと考えていた。
好意を持たれるとは言い難い言動をしていた時期に、彼女の心を捉える出来事などあっただろうか…?
口調に込められていた疑問を察したのか、アリアははにかみつつ微笑んだ。
「初めて会った日です」
「………」
最も有り得ない答えに耳を疑う。
最初の数ヶ月、彼女の内(なか)に隠し切れない怯えがあったのは間違いない。
沈黙にはっきりと表われてしまった困惑。
それに対しアリアは僅かに躊躇いを見せ、一度ゆっくりと瞬きした後でほんのり頬を赤らめた。
「初めは…怖かったんです。
だけど目が離せなくて、怒りと孤独の奥にある願いを叶える為に、私にできることは何でもしようって…。
こういうのを、一目惚れっていうんですよね?」
「ああ。……実は俺も、一目惚れだったんだ」
「!」
一瞬で、存在の総てに魅せられた出逢いの夜。
今も鮮やかな記憶から連なる日々を想い、改めて終生の伴侶を得られた幸せを噛み締める一方で、予想を上回る驚きぶりに苦笑する。
真実だと伝える為に手を取り、温もりをそっと重ねた。
「あんな所だったのにな」
「そういえば、そうですね」
くすくすと零れる声に合わせて相好を崩す。
斬り捨てられたアンデッドが転がる闇夜の墓地。甘い慕情の始まりに、これほど不似合いな場面もなかなかないだろう。
それでも、そこで確かに生まれた愛は幾多の隔たりを超え、今日(ここ)に続いている。
そしてきっと、
どんな時も、何処にいても、
「アリア」
「はい」
「俺が惹かれるのは、この先も君だけだ」
「……ありがとうございます」
伏し目がちに紅潮した横顔の愛らしさに、抱きしめたい気持ちを抑え、代わりに指を絡めるよう繋ぎ直した。
fin.
2014,03,23
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