やさしい眠り

 依頼されたハンターとしての仕事を終えて宿に戻るとまず、大きな窓にカーテンを引いた。
 夜明けには少し間があったが、薄暗い部屋で疲弊した身体をベッドに投げ出す。
 このまま寝てしまうつもりでいたのに、目は妙に冴えてしまっていた。
 理由は、自分でも良く判っていた。
 ここしばらく、彼女の訪問がないからだ。
 それとなく妖精に聞いてみた処、最近各地で大きな事件が頻発しており、対応に追われているとのことだった。
「………」
 天井を仰ぎ、右の腕で両方の目を覆う。
 ―― 判っている。
 彼女は、この地上を守護する天の遣いで。自分だけのものではないのだから……。
 それに現在、堕天使の動きは目に見えて活発化しつつある。何処で発生してもおかしくない任務に備えて、必要な休息はきちんと取っておかねばならない。
 けれど心は理屈では割り切れずに、彼女が訪れることを待ち続けていて ―― 。
 眠れない。
 笑顔が見たくて。傍に…いてほしくて。
 彼女と出逢ってから、これまでにも、こんな漠然とした重い感情を感じたことはあった。しかしそれは自分の血に対する怖れによるものなのだと、思い込んできた。
 だが、今になって、思う。
 原因は、彼女の不在にあったのだと。
 そして、
 気付いてしまえば、欲しくなる。
 叶わないと、そのことも、充分過ぎるほど判っているのに……。
 ずっと、知らずにいれば良かったのだろうか?
 もしくは、これほど深い想いになる前なら、忘れることができたのだろうか…?
「……アリア…」
「―― はい」
 届くはずがないと思いつつも呟いた名前に、澄んだ声で答えが返る。
 クライヴが勢いよく飛び起きると、申し訳なさそうな顔の天使がベッドのすぐ脇に立っていた。
「お休みされていたので、出直すつもりだったんですが…。ごめんなさい。起こしてしまいましたね…」
「いや、ただ横になっていただけだ。…どうした?」
 彼女への想いを自覚したとはいえ、長年習い性になっていた口数の少なさ ―― 口下手が一朝一夕で直るはずもない。
 逢いたかったと、そんな一言さえも告げられない歯がゆさが、自然と彼の表情を厳しいものにする。
 結果それは、睡眠を邪魔したことを気に病む天使には、怒らせてしまったという事実とは正反対の誤解を生じさせたらしい。
 ますます恐縮した声で、アリアは彼にも既に馴染みとなった天界のアイテムを取り出した。
「シータスからこの辺りでもよく敵との戦闘があると聞いたんです。だからこれが、お役に立てばと思って…」
 差し出された一枚の羽を受け取る。
 手のひらの上でそれが仄かな光を発して消えると、身体はすっと軽くなった。
「いつも、すまない」
「……いえ。私には、これくらいしかできませんから…。
 でもクライヴ、なんだか顔色が良くないですね。私はもう失礼しますので、ゆっくり眠ってくださいね」
 アリアはごく控えめに微笑むと、小さく一礼した。
 夜が明けかけているのか、外からは鳥の声が聞こえてくる。
 それを耳にしたアリアは、朝の陽を部屋に入れない為なのだろう。転移魔法の呪文を詠唱し始めた。
 そうして徐々に淡い白光に包まれていく彼女の左手を、クライヴは無意識に掴んでいた。
「……もう少し、ここにいてくれないか…?」
「………」
 意図せず口に出してしまった願いに、アリアは驚いて目を丸くする。
 その反応に、クライヴは天使から目を逸らした。つまらないことを言ったと、自分の咄嗟の言動を自嘲する。
 しかし、まだ感じられるやわらかな温もりに一瞬遅れて気が付き引こうとした彼の手を、細い指がきゅっと握り返してきた。
 弾かれたように目を上げる。
 そこで彼が見付けたのは、全ての苦痛を忘れさせるほどに綺麗なアリアの笑顔だった。
「はい…。私で良ければ、ここにいます。
 だから、ちゃんと休んでください、クライヴ…」
 アリアはもう一方の手を静かに伸ばして、彼の瞼を閉じさせる。
 促されるまま再びベッドに身体を沈めると、先刻とは打って変わった強い睡魔が押し寄せてくる。
 そして、“ありがとう”という言葉さえ満足に伝えられないうちに、クライヴは心地好い眠りに落ちていった。
 しばらくして規則正しい寝息が聞こえ始めると、アリアはほっと息をつく。同時に手を繋いでいることを思い出して、僅かに頬を染めた。
 今動かすと起こしてしまいそうで、困ったように首を傾げる。
 そのまま視線を落とす。が、そこで目に入ったクライヴのいつもより幾分幼く見える寝顔に、思わずくすっと微笑ってしまった。

      どうか、よく眠れますように…。

 そう願いながら、アリアはそ…っとクライヴの額に唇を寄せた。
 その、彼女が初めてくれた“おやすみなさいのキス”も、はたと我に返って耳まで真っ赤になった天使の様子も知ることなく ――― 。
 これまでで一番深い眠りの中で、クライヴは確かに、やさしい光の存在をすぐ傍に感じていた。

fin.

2001,09,10

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