庭を吹き過ぎる風が、青薔薇と葉を凍えるように震わせる。
月を隠す鈍色の雲から降り始めた白い花片に、レオンは静かに手を伸ばした。
「雪か…。
寒くなってきたし、一旦屋敷(なか)に戻るか?」
「もう少しこのまま、雪と薔薇を見ていたいの。…ダメ?」
「なら、俺が温めてやろう」
「ふふっ」
軽く冗談めかした口調と伴に、薄着の肩をふわりと包み込む。
以前ティーサロンで交わしたやり取りをなぞる言葉に、くるみも小さな声で微笑った。
子供の頃から雪は好きだった。
ただこの辺りの降雪量は少なく、積もることはほとんどない。
束の間空を舞い、音もなく消えていく。そんな儚さが、初めて誰かを想って泣いた、あの日視た蝶(まぼろし)に重なって。
不意に駆られた不安に腕の力を強め、温もりを確かめずにはいられなかった。
……大丈夫。ここにいる。
冷たくも、触れたら溶けてしまうこともなく、
確かに、―― 傍(ここ)に。
未だふとした瞬間に、こうして心を掻き乱す呪縛。
それでも…。
「―― 俺は、呪いを掛けられて良かったのかもしれないな…」
「レオン?」
無言のまま、突然きつく抱きしめられたせいだろう。驚いて上げた瞳に、今度は僅かな困惑が映る。
安心させるようにレオンは栗色の髪を撫で、そっとくるみの頬に手を遣った。
「でなければ、おまえとは出逢えなかった。
……たとえ出逢えたとしても、人間の女という物珍しさと欲情だけで、おまえを犯していただろうから…」
他者の苦痛を推し量るなど、昔は考えもしなかった。使用人が次々に城を去っていった後でさえ、倣岸さを捨て切れずにいた。
そうやって長い間身勝手に振る舞い続けた代償を、一番大事な女(ひと)にも背負わせた。それを心底悔いる気持ちに嘘はない。
だが同時に、
「もし過去に戻れても、俺は魔力を失って、おまえと出逢うことを選ぶ。
あんなにおまえを泣かせたのに、やはり俺は、我が侭だな…」
自嘲気味に目を伏せる。
しかしくるみは「ううん」と緩やかに首を振った。
「私も同じ、だから…。
レオンが呪いにすごく苦しんでいたって…。分かってるのに、私と出逢うことを選んでくれて嬉しいの」
「…くるみ……」
愛しているから、純粋に触れたくて。どれほど希んでも、無理強いはできなかった。
失いたくないと気付いて識った感情(もの)は、幾度となく、苦い痛みに姿を変えたけれど。
今はそれも全て、ふたりで過ごした大切な時間だと思えた。
赤い月の下で羽ばたき、
腕の中に還ってきてくれた、白い蝶。
読み聞かせたお伽話よりも大きな奇跡を起こしたのは、
きっと、その心だから。
次は俺がおまえを、
青薔薇姫よりも誰よりも、幸せにできるように ――― 。
透明な羽が纏う淡い光を滑り、咲く雪花(はな)を見つめながら。
レオンはもう一度、愛しい妖精の背中をやわらかく抱き寄せた。
fin.
2009,06,10
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