共鏡

 腹立ち紛れにぶつけた怒号に答えた虚ろな瞳が、脳裏から離れない。
 嘘を押し通そうとする作り笑いと、最後に見せた小さな笑顔。
 食堂を出た後もレオンはこうしてずっと、くるみのことばかり考えていた。
 たかがメイドの一挙手一投足に、愚かしいほど揺さぶられている。
 不愉快極まりないのに何故か、淋しく、―― 哀しい。
 自分の内(なか)に確かにある、そうした感情の意味が理解できなかった。
 自嘲に近い溜息を吐き出し、窓辺に飾られた薔薇の花片に触れる。
 ガラス越しの空を見遣ると、月が青く凍えるような光を降らせていた。
 夜風に当たれば、少しは、冷静な思考が戻ってくるだろうか…?
 不安に似たもどかしさを抱え、レオンは深い渋面のまま自室のドアを開けた。

 雪の気配はないものの、冷たく吹き抜ける夜気の中を、目的もなく歩いていく。
 こんな真夜中(じかん)では、黒い蝶さえ寄り付いてはこない。
 しかし、雫が白い羽を呼ぶはずの花には、人間の乙女をも魅する力があるのだろうか。
 庭の片隅で小さく膝を抱える姿を目にして、我知らずレオンは立ち止まった。
 今にも頽れそうな雰囲気(くうき)にまた、胸が軋んで。これまで彼女に負わせた痛みが、まるで鏡を合わせたように、全て跳ね返ってきた気がした。
 百年足らずという人間の寿命を考えれば、くるみはおそらく、まだ二十年も生きてはいない。
 ここに来た時の何処となくぼんやりした様子からしても、大人達の庇護下にあるそれなりに恵まれた環境で、取り立てて大きな波風もなく過ごしていたのかもしれない。
 そんな平穏な日々が一転、訳も判らぬまま異世界での生活を余儀なくされたのだとしたら、良くやっている方だと、……言えなくもない。
 与えられた仕事は、意外にそつなくこなしていた。
 もう人間界に帰るのは諦めたのかと思っていたが、単に振り返る余裕がなかっただけなのだろう。
 おどおどしているようで、だが見た目ほど従順ではなく。時折、生意気な態度でこちらを驚かせた。
 言いたいことを飲み込んで、泣き顔の代わりに、拒絶を映した瞳(め)を伏せる。
 その眼差しに覚えたものは、すぐそこに有るのに掴めない既視感めいて。心を強く、ざわめかせた。
 主の意に沿わぬ生贄など、『時』が来るまで、死なない程度に監禁すればいい。
 以前なら、一寸の躊躇いもなくそうしていたのに ――― 。
 青薔薇の茂みの下で、張り詰めた糸が切れたように零れた哀咽(こえ)。浮かんだ涙に気付いた瞬間、レオンは足を進めずにはいられなかった。
「―― 泣いているのか」
 上げた潤む双眸に、憎しみすら含む、明確な嫌悪を見付けても。
 怒りを感じるより先に、
 力で罵声で幾度となく傷つけてきた、この幼けなさの残る少女を、今は…独りにしておけない。
 それが、
 奇跡に等しい確率で得た“切り札”を、手ずから無にする行為なのだと半ば、
 ……判っていても。

fin.

2008,10,05

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