一番好きな青薔薇姫の絵本を抱えて部屋に戻り、まず目に入った銀の髪に駆け寄る。
しかし途中で眠っていることに気付いたくるみは、窓辺に置かれた二人掛けのソファーの手前で一旦引き返すと静かにドアを閉めた。
午後になって広がってきた雲は月を隠し、半分開いた窓からは冷えた風が入ってくる。
その窓もなるべく音をさせずに閉め、目覚める気配のないレオンに毛布を掛けた。
執務が立て込んでいるせいか、寝顔には疲労の色が濃い。
ベッドで休んだ方が疲れは取れるのだろうが、今起こすのは寧ろ酷な気がした。
「―――」
しばらく迷った後でテーブルに本を置き、ソファーに腰を下ろす。
会話(ことば)はなくても、ただ傍にいたくて。
毛布越しに寄り添い、愛しい人に倣うように瞼を閉じた。
「ん…」
「ああ、悪い。起こしてしまったな」
「レオン…?
……! ご、ごめんなさい!」
掛け直された毛布を持ち、いつのまにか右に傾いていた身体を慌てて起こす。
レオンにしてみれば予想外の反応だったのだろう。不思議そうにくるみを見返した。
「どうした?」
「だ、だって、疲れてるレオンに寄り掛かって眠っちゃうなんて…」
「温かくて、ちょうど良かったぞ」
愛情に満ちた青い双眸が細められ、毛布ごと抱きしめられる。
緩やかに額に降りた温もりに顔を上げると、今度はそこに微苦笑が浮かんでいた。
「この頃あまり一緒にいてやれなくてすまない」
「ううん。お仕事、大変だものね」
小さく首を振り、即答する。
だが渋面は、却って深くなってしまった。
「理解があるのは嬉しいが…。
俺には無理して笑わなくていいんだぞ? おまえにはもう、隠れて泣くような思いをさせたくないんだ…」
頬をそっとさする手のひらの心地好い熱が胸の奥にも届く。
確かに、気遣いを無にされてしまったのも理不尽な怒りをぶつけられた日もホームシックも、残された時間が削られていくのが哀しくて堪らないのに「行かないで」と言えなかった夜も、一人で泣くのはとても辛かった。
けれど……。
何処か苦い切なさを含んだ瞳をまっすぐに見つめてくるみは微笑んだ。
「淋しい時もあるけど…。
今はレオンの結界がいつも私を守ってくれてるのを感じるし、前みたいに不安にはならないの」
「………」
抱(いだ)いていた懸念が違う意味で伝わっているのが、本当かと問う眼差しで分かる。
なかなか休めない事情があるのは察しているが、執務の全てを把握しているわけではない。
余計な干渉ではないかと逡巡したものの、このままでは誤解を解けない。
でもね、と遠慮がちにくるみは再び話し始めた。
「最近レオン、また毎日遅くまでお仕事してるでしょう?
よく難しい顔をしてるし、身体を壊さないかも心配で…」
「くるみ…」
頬に置かれていた手がゆっくりと頭上に移る。
しばらく無言で髪を撫でていたレオンはやがて、一つ大きな息をついた。
「……そうだな。
俺は目先の物事に捕らわれて、空回りしていたのかもしれない…」
「レオン……ん…」
くすぐるように淡く重なる唇。
それが僅かに離れた瞬間に映った、やわらかな表情にほっとする。
互いにほぼ同時に伸ばした指を絡めると、繰り返されるキスに応えた。
「―― くるみ、甘えてもいいか?」
返事をするより前に肩に軽く頭を乗せられ、やや悪戯っぽく見上げられる。
「後少しここで眠るから、子守唄を歌ってくれ」
「うん…」
繋いだ手を自分の膝の上に引き、改めてきゅっと握り返す。
私の隣では何の気兼ねもなく、
子供みたいに…安心して眠ってね。
敢えて口にはしない願いを込めて、
くるみは何度も聴かせてもらってすっかり覚えた唄をやさしく歌い続けた。
fin.
2012,06,20
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