透き通る淡い琥珀色のローズジャムを入れたティーカップに紅茶を注ぐ。
静かにかき混ぜると、花びらが風に舞うように、明るい水色(すいしょく)の中で揺れる。
何とはなしにくるみはそれを目で追いながら、テーブルに二客のカップを並べた。
改めて領主として執務を行い始めたレオンは、しばらくの間多忙を極めていた。
その真摯な取り組みに領民達は彼の変化を受け入れ、徐々に使用人が戻ってきた城も、次第に活気づいていった。
公私共に軌道に乗り出したことで、最近は数日に一度はこうして、サロンで一緒に午後のお茶を楽しむ時間が持てるようになったのだが…。
同時に生まれた小さな痛みが溜息になりそうで、敢えてゆっくりと、紅茶で喉を潤した。
「くるみ」
指の背で頬を撫でられ、いつともなく俯いていた瞳を上げる。
「おまえ何か、俺に言いたいことがあるだろう?」
あまりにもやわらかい声と眼差しに、無意識のうちに頷いてしまう。
今更否定もできなくて、また軽く視線を落とした。
「あのね、魔界の文字がもっと読めるようになったら、私も、レオンのお仕事を手伝える…?」
役に立ちたい。
続けかけ、以前広間で、白い蝶になるのは意地か意思かを話した夜のことが過る。
途中で口を噤んだが、表情(かお)には出てしまったらしい。微かな苦笑と伴に、今度は両手で頬を包まれた。
「おまえは今でも、俺の執務を支えてくれているぞ」
「え?」
「毎日、薔薇も踏み付けられたら痛いと感じると言った時のおまえを想う。
泣かせた時、哀しい顔や辛い顔をさせた時、笑顔が見られた時のことも…。
それが、これから俺が執るべき道を教えてくれる」
「レオン…」
単なる慰めではなく本心なのが伝わる温かい声音に、嬉しさと、申し訳なさで一杯になる。
けれど言葉を上手く継げなくて、代わりにくるみは、レオンの首に手を回してそっと口付けた。
膝の上に抱き上げられて交わす、甘い薔薇の香りのキスに、いつのまにか、胸の片隅に落ちた影も全て消えていた。
「……ごめんね。半分はヤキモチなの…」
「何にだ?」
素直に打ち明けた気持ちが予想外のものだったのか、不思議そうに問い返される。
それでも、抱きしめられたまま見つめた青はあくまでもやさしく、心までその腕の内(なか)にくるまれている気がした。
「アインスが、私には分からないお仕事の話をレオンとしてるのが、少しだけ、……羨ましくて…」
領民の為の政治に尽力するレオンを手助けしたい。偽りなくある思いに混じる、独占欲によく似た切なさ。
それは、大好きな人をいつでも一番に知っていたいという、欲張りな我が侭だと自覚していたから、なかなか言い出すことができなかった。
しかしレオンは相好を崩し、愛しげにくるみの下唇に指を滑らせた。
「バカもの。なら遠慮しないで、俺に聞けばいいだろう?」
「うん…」
「魔界の文字を学ぶことには賛成だ。
ただし、おまえ自身が楽しんでやるなら、だが」
「そうだね。ありがとう、レオン…」
「いい子だな」
よしよしと頭を撫で、くれたご褒美のキスは、重ねるごとに幸福感(しあわせ)に満ちていく。
ふと瞬きした時に映った黄金色に、ようやく、テーブルの上で所在なさげなホットケーキのことを思い出す。
今日もやはりこちらを恨めしく眺めているようで、舌を絡める合間に尋ねた。
「―― ホットケーキに、蜂蜜は……どれくらい掛ける?」
「おまえの愛と…同じだけ掛けろ」
「そんなこと言ったら、一瓶じゃ足りないよ?」
唇を離し、懐かしい答えにくすくすと微笑う。
そして、魔界中から集めた蜂蜜よりもたくさんの愛情を込めるよう、くるみはジャムの隣にある瓶の蓋を開けた。
fin.
2009,10,31
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