指先の所有印

 怯えたようなご機嫌取りに無性に、腹が立った。
 メイドの癖に主人に楯突く、泣きそうで泣かない、反抗的な目と態度も。
 いっそのことこの場で、ずたずたに壊してしまおうか…?
 そんな嗜虐心とは裏腹に、喉元には、説明のできない重苦しい何かが痞えていた。

      必要な手札は既に、手中(ここ)にある。

      なのに何故、未だ、
      白い蝶を求め続けているのだろう?

      こんなにも切実に、
      別の方法を、探し続けているのだろう…?

 有無を言わさずくるみを立ち上がらせながら、不意に浮かぶのは、今更のような自問。
 答えを見付けられぬまま、気が付くとレオンは、拾った破片で切ったらしい人差し指を口に含んでいた。
「……んっ…」
 治癒魔法の代わりに、丁寧に傷を舐めていく。
 労わるようにやさしく、―― そうするのが、当然であるかのように。
 何度も舌で包み込む華奢な指先が、これまで味わったどんな肌より甘く感じられるのは、蜂蜜の…せいだろうか……?

      唯一触れる、だが、
      生贄とする為に抱けない女。

 赤月の晩まで城に置いて、生かしてやっているだけの少女に、唐突に、自分の物だという印を刻みたくなって。
 鋭く歯を立てて噛み付くと、痛みに小さな声があがる。
 口内に広がる新たな血の味は、本当に所有の証のようで。
 衝動的な真逆の行動に呆気なく翻弄されている、困惑と苦痛の入り混じった表情に、苛虐的な気持ちは更に掻き立てられていった。
「俺を元気付けたかっただと? こんな子供騙しでか?
 ……そう思うなら、その身体で慰めろ…」

      俺を詰った、
      生意気なその唇で、舌で……。

 強引に腰を引き寄せて口付けを繰り返し、怪我していない方の手を掴む。
 無理矢理にでも奉仕させたら、もう二度と、要らぬお節介はしなくなるだろう。
 お節介どころか、近寄ってくることさえなくなるかもしれないが、別に……構わない。
 まるで狂った振り子のように、心は両極端な感情に交互に占められ、制御が利かなくなっていた。
「いやあっ…!」
 拒絶の悲鳴と、対照的に平穏なノックの音が重なる。
 凍えそうな熱を孕む眼差しが、瞬間逸れた隙をついて、くるみが膝の上から逃げ出す。
 空になった鳥籠を眺めるような喪失感と、同時に覚えた奇妙な安堵。
 急速に醒めていく、狂気めいた冷酷な支配欲を半ば他人事として捉えながら、レオンは入室してきたアインスに、淡々と部屋を片付けるように命じた。
 続く罵倒に耐え切れなくなったのか、長い髪が扉の向こうに走り去っていく。
 彼女の様子から、おおよその経緯は察したのだろう。アインスがひっそり溜息をつく。
 レオンはそれも黙殺すると、再びソファーに腰掛けた。
 窓から夕風が吹き込んで、唇に乾いたものを感じる。
 そこに僅かに残っていた血をゆっくりと舐め取ると、満足感にも似た甘美が一瞬、胸を過る。
 だがその後に訪れた、この上ない苦味はいつまでも、舌の先に残っていた。

fin.

2008,06,21

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