階段から落ちそうになった腕を逸早く引き、助けてくれたのは誰だったのか。
あの瞬間(とき)、答えはもう…出ていたのかもしれない。
お城で奇跡的に再会したエリックは、目に見えて憔悴していた私に何も聞かなかった。
ふたりで海を渡り、辿り着いた小さな街。
どんな出自でも、決して見捨てない人が傍にいる。
絶対的な安心感は、理由も分からず浴び続けた畏怖の視線に萎縮した心を緩やかに解きほぐし、私は徐々に、街の人達とも交流できるようになっていった。
これまでと全く違う生活に戸惑いつつも、穏やかなやさしさに包まれた半年が過ぎた頃。
私はようやく、エリックが再会した後も内に秘めていた、一人の男性としての想いに気が付いた。
以前、エリックとクレア先生の仲睦まじい様子に苛立ち、共通の秘密を持っていることが酷く哀しかったのは、エリックが私にとって、執事以上の存在だったからなのも ――― 。
自覚する前に、エリックによってそっと鍵を掛けられた淡い初恋。
扉はゆっくりと開かれ、限りない愛と信頼で満たされて…。
私は誰よりも私を知る温かい腕の中に、本当の自分の居場所を見付けた。
お城に来た時点で全てを把握していたエリックと、推測を重ねて自分なりの結論を導き出したキースを、単純には比べられない。
改めて振り返れば分かる。キースと私は結局、お互いを信じ切れていなかった。
愛情を塗り潰しながら積み上がった不信や不安。結婚がたった数ヶ月で破綻したのは、どちらか一方のせいじゃない。
それに……。
「コレット? 気が乗らないなら、今日はやめましょうか?」
ネグリジェのボタンを外していた手を止め、空色の瞳がやわらかく微笑んでこちらを見上げる。
「ううん、したい。……して、エリック…」
「はい」
喉の奥を小さく鳴らし、舌と指が胸の先を甘く転がす。
眼差しで表情で声で、深く重なる体温(ねつ)で、愛されているのが確かに伝わる。
感覚と思考が快さに溺れる、その一歩手前で、
変わってしまった夫に向き合うのを恐れ、
何ひとつ問い質せず逃げ出した私が、
こうして幸せでいるのは、許されるのかしら…?
ふと浮かんだ自問につい顔が曇ったのか、不意に愛撫が止まる。
「お嬢様」
「あ…」
「いけませんね。したいと言ったのはお嬢様ですよ?」
「ごめんなさい。やめないで…」
「では私のことだけ考えて、感じてくれますか?」
「ええ…」
首に両手を回し、唇を合わせる。
周囲の無用な詮索を避ける為、ここで暮らし始めてからは私を呼び捨てにしているエリックが少し意地悪な口調で「お嬢様」と言うのは、消せずにいる罪悪感を見抜いている時。
運命も罪も一緒に背負ってくれる、
この手を二度と離さずに、ずっとふたりで歩いていけたら…。
「エリック…、好きよ、……大好き」
銀髪に頬を寄せて囁く。
瞼と同時に苦い過去(きおく)を閉じて、ただ与えられる快楽に身も心も委ねた。
fin.
2015,07,12
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