半分このキス

 ブランコを一度小さく揺らすと、微かに高い金属音が静けさに紛れていく。
「レニ、遅いなぁ…」
 ぽつりと呟き、溜息と同時にアーシェは門を見遣った。
 この所連日だった会議が今日は午前中で終わるからと、レニは昨夜、午後は久しぶりに薔薇園で過ごそうと提案してくれた。
 昼間ふたりでのんびりできる日は滅多にない。とても楽しみで、コックに頼んで昼食とデザート、紅茶を用意してもらい、一足先に来ていたのだが…。
 月は、黄色くなってもう随分経っている。
 魔王がいかに多忙かは充分理解しているが、ここに独りでいるのはやはり淋しくて、無意識のうちにまた吐息が零れた。
「姫様!」
「カイル…?」
 庭に現れた小柄な黒い影に、俯いていた顔を上げる。
「あの、魔王様は、会議が長引かれているようで…」
「そっか…。それなら仕方ないね…」
 以前女官達の世間話を偶然聞いて知ったのだが、どうやら前例のない王族出身以外の魔王を好ましく思っていない大臣がおり、稀に会議が紛糾するらしい。
 とはいえ城の内外を問わず大多数の者は、歴代の王に比べても遜色ない魔力を持ち、公正で堅実な執務を行う新しい魔王を歓迎している。
 レニも「大袈裟に騒ぐほどじゃない」と言っていたのだけれど…。
「申し訳ありません…」
「カイルは全然悪くないよ?」
「ですが、私がもっと魔王様のお役に立てていれば…」
 耳を伏せ、項垂れるカイルを手招きする。隣に座った金色の丸い瞳を、アーシェはまっすぐに見た。
「あのね、前にレニが言ってたよ。自分が人間界にいた間にお城であったことや、魔物の国のことにも詳しいし、カイルがいると助かるって」
「ま、魔王様がそんな、恐れ多い…!」
「だからね、これからもレニと私を助けてくれると嬉しいな」
「それはもちろんです!」
「ありがとう、カイル」
 実際、双子の記憶と魔力を失って寝込みがちだった頃に出会い、人間界での出来事も承知しているカイルが、変わらず傍にいるのは心強い。
 鬱いでいた気分がふわりと軽くなり、にっこりと笑った時だった。
「アーシェ!!」
 突然聞こえてきた声に、弾かれたように立ち上がる。
 空を仰ぎ呼びかけた名は、包まれた愛しい体温(ねつ)に溶けて。
 薔薇園に降り立つなり抱き竦められて伝わってくる鼓動は早く、髪に掛かる息は荒く乱れていた。
「……遅くなって、……すまない…」
「ううん、大丈夫だよ…」
 正に駆け付けてきたといったレニの様子に胸が詰まる。
 堪らずに抱きつき返すと、熱い指が頬に触れた。
「レニ……、ん…」
「あ、あわわわわわ、し、失礼します~っっ!!」
 目の前で始まった濃厚なラブシーンに、慌てふためいたカイルが去っていく。
 心配して来てくれたのに、ごめんね…。
 悪いと思いつつも、狂おしく与えられる甘さに抗えるはずもなく。
 アーシェは自ら積極的に、レニの口付けに応えていった。

 ティーサロンで存分にいちゃいちゃしながら遅い昼食を終え、一息つく。
 紅茶のカップをテーブルに置き、カイルとのやり取りをふと思い出したアーシェは、そっとレニの肩に額を当てた。
「今魔界を守ってるのはレニの結界なのに、どうして身分になんて拘る人がいるのかな…?」
「おまえが気に病むことはない。
 大臣の嫌みもたまには的を射ていて、意外に参考になったりするしな」
 逆に宥められ、なんだか切なくなってしまう。
 視線を落とし、無言で広い胸に顔を埋める。
 穏やかに幾度も、髪を梳く左手。
 胸の内でさざめく波は、繊細な温もりにいつしか凪いで。
 上げた目に映ったのは、やわらかな、けれど揺るぎない意思を秘めた笑みだった。
「王族に近い者は特に、古いしきたりに煩い。慣習から外れた選出には、反発があると判っていた。
 その上で俺は、おまえとずっと一緒にいる為に、おまえがもう城を追われたりしないように、魔王になって魔界を守ると決めたんだ」
 初めて結ばれた夜と同じく、繋いだ手の甲に淡く繰り返されるキス。
 あの日再び交わした約束は違えられず、今もこうして続いている。
 それを、限りなく幸せに想えばこそ……。
「―― でもねレニ、辛いことはやっぱり、半分こしようよ。
 お仕事は私じゃ手伝えないだろうけど、その分嫌なことがあった日は、私にいっぱい甘えて…?」
「アーシェ…」
「大好き…」
 肩に掴まって合わせた唇を舐め、開いた口内に舌を差し入れる。
 レニを苦しめているものを少しでも代われるよう願い、心を込めて、ゆっくりと何度も絡めた。
「……ふ…、これだと…半分ずつにはならないが……いいのか?」
「えっ…?」
 驚いて思わず身体を離す。
 泣きそうに見つめた青の双眸は、やや悪戯っぽく細められていて。
 髪を滑り、大きな手が頬に降りる。親指が愛おしげに、つい先刻まで重ねていた口唇をなぞった。
「おまえにこんなキスをもらって、俺の機嫌が良くならないわけないだろう?」
「……うん、私も…。どんな理由だってレニとキスしてると…嬉しくて幸せになっちゃうみたい」
「まあ、ふたりして辛くなるより、ふたりとも嬉しくなった方がいいからな」
 こそばゆいような気持ちで微笑い合う。
 不意に強く抱き寄せられた背中に腕を回すと、

 ありがとう ――― 。

 僅かに濡れたままの唇が掠めた耳に、小さな囁きがやさしく届いた。

fin.

2010,09,27

Back