常初花

 開いたままになっていたドアの手前から、二人きりで教室にいるアーシェとレニの姿を目にして思わず、足を止める。
 熱心に何かを尋ねている横顔と、それに答える、対照的な無表情。
 先にこちらに気付いたレニが口を開きかけた時、淡い青を映す銀の髪がふわりと振り返った。
「セイジュ!」
 駆け寄ってくる様子に過る、そっくりなのに本物ではない、何処か鏡像に似た既視感。
 赤いリボンの向こうに、瞬きのように掠めた、淋しげな、けれどやわらかな眼差し。
 胸をさざめかせる混乱に軽く首を振るのと同時に、静かに前のドアが開く。
 その音に、小さな声と伴にアーシェは一度立ち止まった。
「レニ、ありがとう!」
「…ふん」
 振り向きもせず、感情を読み取らせることもない後ろ姿が、廊下に消える。
 以前ならこの状況に、優越感を覚えていたかもしれない。
 だが先刻不意に思い出した、憎しみと同義の痛みは、時間の流れすら錯覚させて。
 嬉しそうな蒼い瞳に見つめられているのが誰なのか、一瞬、本気で分からなかった。
「ニッチョクは終わった? 一緒に帰れる?」
「……レニと話していたんじゃないの?」
「うん、いつのまにかセイジュが教室からいなくなっちゃったから、理由を知ってるかなって。
 そうしたら、今日はニッチョクだからショクインシツに行ったんだろうって…」
「………」
 先日のような怒り ―― 嫉妬はなかった。
 こだわらないでと願った過去(きおく)にも、囚われているのは寧ろ、自分の方で。
 目の前に有る幸せへの実感が妙に希薄で、言葉を継ぐことができなかった。
「……あ、あのね、ほんとに、セイジュが何処にいるか聞いてただけで…」
 沈黙を誤解したのだろう。アーシェは慌てたように続ける。
 その肩をまるで縋るように抱きしめると、伝わってくる体温に、波立っていた気持ちは次第に凪いでいった。

   「ところで、レニは?」
   「ああ、もうすぐ来るんじゃ…」
   「あ、レニ!」

 あの時、走り去っていった背中に、自分の全てが否定されたような気がしていた。
 悪気がないのは分かっていた。だからこそ無邪気な一途さは、残酷で、……憎らしくて。
 だけどそう…、昔も。そして今でも。君は純粋に、ただひとりを愛しているだけで。
 特別な想いを寄せる男が他にもいるなんて、考えてもみないだけで…。
「……セイジュ…?」
「―― ごめんね。
 君に一言、言ってから行けば良かったね」
「ううん、いいの。
 …あのセイジュ、一緒に帰れる、……よね…?」
「そうだね。一緒に帰ろう」
「うん!」
 幾度肌を合わせても、不安はこうして日々の些細な瞬間に潜んで。
 それでも愛しい存在(はな)は今、何より綺麗なまま、確かに…この腕の中で咲いているから。
 差し出した手を、君が微笑って取ってくれる。
 重ねた指の温もりが、僕に見せる笑顔が、こんなにも甘やかなのはきっと、
 君と身体だけじゃなく、―― 心も、繋がっている証。

fin.

2009,08,27

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