期望

 それぞれ意気投合した相手と話し込んでいるクライヴとギャロウズを食堂兼酒場に残し、客室のある二階に上がる。
「おやすみ、ジェット」
「ああ…」
 廊下に人目がないことを確認してから、掠めるように口付ける。
 唇が離れるのとほぼ同時に、ヴァージニアの指が躊躇いがちにジェットの左腕に触れた。
「ジェット、…え、と、…あのね、もうちょっと一緒にいたいんだけど、……ダメ?」
「ヴァージニア、お前な…」
 少々手間の掛かる仕事をこなし、骨休めに立ち寄った町。彼女の部屋の前。そろそろ深夜になろうかという時間。
 更に上目遣いで、仄かに頬を染めて。
 このシチュエーションで、その言葉が男(こっち)にはどう聞こえるのか、判ってるのか…?
 答えは、まず間違いなくノーだ。彼女には含みなんてなく、単に言葉そのものの意味だろう。上目遣いだって、こちらの身長が伸びた分、そう見えるだけだ。
 尤も、はにかみつつ「一緒にいたい」などと言われるのは満更でもない。一ヶ月前には、到底考えられなかった言動だ。
 結局、そのまま二の句が継げないでいると、
「…ごめんね、変なこと言って。おやすみ!」
「おいッ!」
 呆れるのと、正直嬉しいのとが綯い交ぜになっているのを隠す為の仏頂面がどうやら、額面通りに受け取られたらしい。
 誤魔化すように笑って背を向けたヴァージニアを呼び止めたが間に合わず、目の前でドアがやや大きな音を立てて閉められた。
「……ったく…」
 人の気も知らねぇで…。
 乱暴に頭を掻く。
 さっきのキスだって、軽くするだけだったのは、理性を保つ為で。
 今はまだ敢えて置いている微妙な距離も、彼女を大切にしたいからこそだ。
 舌打ちをしかけたが、思い直して一度ゆっくりと息を吐き、首を振る。
 一歩、というか半歩程度だとしても、彼女は彼女なりに、そんな距離を縮めようとしている。
 少なくとも先刻の場合、受け止めきれなかったもどかしさを、責任転嫁するのはおかしい。
 ひとりで生きていた頃は、面倒な係わりは、うんざりだと呟いてその場で切り捨てていた。
 けれど失えない存在(あいて)なら、自ら動く以外にない。
「ヴァージニア」
 一応一回ノックをして、ドアを開ける。
 足早に室内(なか)に入ると、髪をほどいていた背中を、振り返りきる前に後ろから抱き竦めた。
「…ひゃっ、……ジェット?」
「素っ頓狂な声を出すなよ」
「だってびっくりして…」
「お前がさっき言ってたの、こーゆーことだろ?」
 違う、と言いかけた口を一旦閉じ、ヴァージニアはしばらく黙った後でうん、と小さく頷く。
 続いた吐息は、ほんの少し戸惑い気味に揺れていた。
「…なんかジェット、変わったよね。
 前はくっつかれるの、嫌いだったでしょ?」
「今も嫌いだけどな」
「なら何で…」
「お前は別」
 この際なので、さらりと宣言しておく。
 言われ慣れていないせいだろう。リアクションに困って狼狽えているのが判る。
 本気だと示す為に抱きしめる力を強めると、頬が一層紅く染まった。
「……そんなこと、前は絶対に言わなかったし…」
「お前には、たまにはきっちり言わないとダメだって、学習したからな。
 だいたいお前だって、前より突っかかってこなくなったじゃねぇか」
「それ、ジェットには言われたくないんだけど…。
 ……うん、でもね、こないだお墓参りした時、改めて思ったんだ。
 わたしが最初からもう少し素直になれていたら、たぶんもっと、お父さんと話ができた。
 だからね、大事な人にはなるべく、ほんとの気持ちを伝えようって…」
「………」
 そういう比較対照にウェルナーを出してこられたら、下手な反論ができるはずもない。
 とにかく彼女の“大事な人”にはなっているようなので、今はそれで良しとすることにした。
 まだまだおっさんには、勝てそうもないしな…。
 この、それこそ“超”が付くファザコンにはおそらく、長期戦で臨むしかないのだろう。
 敵うかどうかも判らない。基準も線引きも曖昧なモノを求めること自体、馬鹿げているのだとしても。
 せめて同等になることくらい、期待してみてもいいかもしれない。
「…ジェット?」
「ん?」
「急に黙るから…。どうかしたの?」
「どうもしねぇよ」
 言い様によっては「構うな」と同義にもなる言葉が、思いがけずやわらかい語調で出たことに自分で驚く。
 確かに、自覚しているよりもずっと、変わってきているのだろう。
 昔は干渉されるのも、形のないものの為に動くことも、大嫌いだったけれど。
 こういうのも案外、悪くない。今はそう思える。
 こいつがいるなら、
 どう転んでも、きっとこれからも、
 ARMを手にするよりも自然に、未来(あした)を、希むことができるから。
「ヴァージニア」
「なぁに?」
「あんまり無理して、こっちに合わせなくてもいいからな」
「…ジェットもね」
 明るい青碧が僅かに大人びた彩(いろ)で、淡紫色の瞳を見上げる。
 くすくすと微笑う声と伴に揺れる髪に、気付かれぬようジェットは密かに唇を当てた。

fin.

2007,10,27

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