kiss away

「あ、ねぇ、ジェット、また背が伸びたね」
 宿に着き、年長組がそれぞれの所用で出掛けた後。
 お昼を食べに行こう、と男達の泊まる部屋に元気良く顔を出したヴァージニアの、脈絡のない二言目がこれだった。
 おそらくは他意もなく、背比べをしながらにこにことこちらを見上げてくる。
 無愛想な弟の世話を焼きたがる姉という、不本意ではあるがふたりの間では良くある図式が、何故か今日はやたらと癇に障る。
 偽りのない親愛と信頼。しかしそれ故に、ひと欠片の悪気もない笑顔はある意味、今の彼にとって何よりも残酷で。
 レンアイ事に関しては特に彼女のテンポに合わせるべきだと、頭では理解している。だがいつまでこんな、擬似姉弟めいた中途半端な位置(ポジション)に甘んじていればいいのだろう…?
 瞬間的に胸中を駆け巡る憤りは、飲み込んできた熱を衝動へと変える。ジェットは鋭い視線のままヴァージニアの肩と腕を強く掴むと、その唇を有無を言わさず塞いだ。
 彼女への想いが、自分の内(なか)で一触即発な状態にまで昂っていたことをようやく覚ったが、既に歯止めは掛けられなくなっていた。
「…っ……!!」
 驚いて身を引こうとするのを許さず、勢いに任せて深く進めていくと、やがてふっと抵抗が止む。
 逆にそれが過熱気味の思考回路を鎮め、我に返って指を緩めると、解放されたヴァージニアは糸が切れたように床に座り込んでしまった。
 すぐさま怒鳴り声が飛んでくるだろうと身構えていたのに、続く沈黙に却って息が詰まる。
 片膝を突くと、ジェットは俯いた顔を訝しげに覗き込んだ。
「……ヴァージニア? 嫌だったらそう言えよ…」
「…ない」
「ん?」
「……だって、すごくびっくりしたけど、嫌じゃ…なかったんだもの…」
「じゃあ何だよ?」
「あれ…? わたし、嬉しい、……のかな…?」
「お前、それを俺に聞くのか?」
「………」
 予想だにしなかった強烈な天然ぼけに、思わず微苦笑が浮かんだ。
 いつもだったら即刻反論が返るはずなのだが、ヴァージニアは何か言いかけた口を結局途中で噤む。
 ジェットは泣きそうな、縋るようにも見える心細げな眼差しが揺らぐ頬に静かに手を遣った。
 あんな粗野で一方的なキスの後で、罵声や平手どころか、「嫌じゃなかった」と潤んだ瞳を向けられた日には、最早全面的に降伏せざるを得ない。
 好きだと、告げた声はほとんど音にならなかったが、もう一度、今度はできるだけやさしく口付けて。
 おそるおそる応えてくるのを感じながら、繰り返し、ゆっくりと甘く重ねていく。
 ずっと知りたかった気持ち(こたえ)が確かに、そこにはあって。箍が外れて一気に吹き荒れた、激しい雷雨のような苛立ちも消えていく。
 無意識に、襟元のリボンに手が伸びる。
 躊躇いなくそれを引きほどくと、一瞬の間(ま)を置いて、ヴァージニアの両腕が力一杯彼を払い除けた。
「…ま、待って! ……ジェ、ジェット…?」
「……悪い。調子に乗って俺だけ突っ走って…」
 額を押さえ、ぼそりと呟く。
 一方の手に残された真紅に、自分が希んでいることを今更のように自覚した。
「だけど、この場のノリだけじゃない。俺はお前が、……欲しい、って思ってる。
 だからまた絶対、リボン(コレ)を引っ張りたくなる。
 嫌なら今のうちにハッキリ…」
「…っ、……だから、嫌じゃないって言ってるでしょう…ッ!
 ―― でも、…待って、お願い。
 ジェットも、……わたしも、“仲間”とはちょっと違う気持ちがあるって急に判って、……だけどどうしたらいいのか、判らないの…」
「ヴァージニア…」
「…あ、あの、ジェット、……ごめんね…?」
「……いや、さっきから、悪いのは俺だ…。
 初めて会った頃から、どうもお前には、ペースを乱されっ放しなんだよな…」
 ひとりが性に合っているはずだったのに、今はこのチームにいたい。何かに付け騒がしい、だが気心の知れた仲間達と、これからも想い出を造りたいと思っている。
 そして誰かを愛しいと、唇に肌に触れたいと、抑え切れぬほどに求める恋(きもち)を初めて識った。
 赤いリボンを指に絡めたまま、なるべくそっと抱き寄せる。
 途端に伝わってくる強張った震えに、自業自得だと判っていながらも嘆息した。
「……待つよ。これ以上お前を、無理矢理どうこうするつもりはないから…。
 頼むから、闇雲に俺に怯えるのだけは勘弁してくれ…」
 腕力の差を考えれば、力尽くで抱くのはたぶん、簡単で。けれどただ自分の欲望にのみ従えば、束の間身体を手に入れても、心には二度と届かなくなる。―― 彼女はきっと、そんな存在だから。
「ジェット…。…あのね、……ありがと…」
「お前、それは変だろ」
「ん、…でもね、待っててくれるのは嬉しい…。
 …キスもこうしてくれてるのも、……嬉しい、…よ?」
「……何でそこで最後に疑問形なんだよ…」
「だ、だって…」
「あー、判った判った。待つ、って言ったしな。
 けどヴァージニア、お前、後でしらばっくれるなよ」
 口籠もる半泣きの表情(かお)に内心慌てて、言葉じりを捉えた追求を引っ込める。
 本気で泣かれてしまうと、先刻からの、困惑の為か酷く頼りなさげな言動を正直、可愛いと感じてしまっている分余計に、対処に困る。
「―― うん…」
 ごく小さいが緊張を解いた声に、心底安堵している自分に気付いて再び、苦笑する。
 十中八九、この先も色々と振り回されるのだろうが、惚れた弱みだとでも思えばいい。
 それでも、時に言葉が遠く擦れ違うのなら、
 やわらかく繋いだキスが焦燥も不安も掻き消してくれたように、体温(ぬくもり)を急かずに重ねて、判り合えればいい。
 ……とはいえ差し当たっては、
 とりあえず弟扱いからは脱したわけだし、こいつの鈍さにも、多少は付き合ってやらないとな…。
 少し余裕を取り戻すと、改めてそう自制して。
 腕の中で伏し目がちに、見たこともないくらいに赤面している横顔に、ジェットはふと微かに笑った。

fin.

2007,08,19

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