バンシーの断末魔の絶叫が、深い夜の中へと吸い込まれていく。
一振りした剣を鞘に収めると、その場には奇妙なほどの静けさが訪れた。
だが、戦闘が始まった直後から感じていた、全身に纏わりつく視線は消えない。
眉を寄せながらもクライヴが踵を返すと、暗闇の向こうから冷やかしめいた拍手が聞こえた。
「…誰だ!?」
「バンシーやノスフェラトゥでは、もはや貴方の相手にはなりませんね」
「ブラス」
突如として現れたレイブンルフトの腹心である吸血鬼を、クライヴはきつく睨み付ける。そしていつでも剣を抜けるよう、再び柄に手を掛けた。
が、ブラスはそんな招かれざる者に対する彼の態度を、あっさりと受け流した。
「どうです? 王の元に来られる気になりましたか?」
「俺はお前達とは違う」
低く、はっきりと即答する。
次にレイブンルフトに見(まみ)える時は、奴を倒す時だ。
それが伝わったのだろう。ブラスはあからさまに嘲笑した。
「ならば、“何”だというのです? 人間として生きていくこともできないでしょうに」
「………」
闇の一族がそうであるように、陽の光が自分にとって苦痛なのは、言われるまでもない事実。
でも今は、天使が ―― アリアがくれた、絶対的な存在意味がある。
「俺は、―― 天使の勇者だ」
「なるほど。それでは、彼女が地上からいなくなったらどうするのですか?
まあ、天界は直ちに新たな守護者を送り込んでくるでしょうが、貴方はどんな天使であっても、勇者であり続けると?」
揶揄を含んだ口調に、クライヴの両眼が鋭さを増す。
黙って聞き流せる内容ではなかった。
「……何をするつもりだ?」
「我々は、何も。ただ、天界からの使者を快く思っていない者は多い。有り得ないことではないでしょう?」
アンデッド達に天使を害する気はないという返答は、信用が置けるものとは到底思えなかった。単なる例えにしては、ブラスの浮かべている表情は嗜虐的過ぎる。
目の前にいる吸血鬼を、クライヴは更に眼光を強めて見据えた。
「アリアは、俺が護る」
それは彼の、天使への想いを表して余りある一言だった。
ブラスは、獲物を狙う肉食獣のように両目を細めた。さも楽しげにクライヴの顔を眺めると、二本の牙を覗かせた口の端から、残忍な笑みが広がっていく。
「ですが王子、今のままでは貴方は本当に、あの天使の“勇者”以上には成り得ない。
手に入れたいのなら、蝶の翅をもぐように、背中の翼を切り裂いてしまえばいい。そうして帰る場所を失くした天の遣いの身に流れる清らかな血で喉を潤せば、彼女は貴方だけのものになりますよ」
「黙れッ!!」
許し難い発言だった。
思わず激昂したクライヴに、耳障りな哄笑が返る。
「では、出直すことに致しましょう」
悠然とマントを翻し、ブラスはまた唐突に闇へと消える。それと伴に、例の監視されているような不快感も掻き消えた。
「………」
ようやく、いつのまにか握り締めていた手を剣の柄から引き剥がす。
激しい怒りが、胸の中に渦巻いていた。
深く息を吸う。夜気が身体を冷やしていく。肺に残った濁った空気を全部吐き出して、目を閉じた。
この血が持つ宿命を一緒に乗り越えようと、そう言ってくれた時のアリアを想い出す。
それだけで、呼吸が楽になった。
己の内を灼くだけでしかない激情を、今はこうして鎮めることができる。彼女を愛していると気付いた後に訪れた、それは大きな変化だった。
ゆっくりと瞬きを繰り返す。そこに白いものがふっと横切る。
空から降る天使の羽根に見えて、咄嗟に彼は視線でその行方を追った。
しかし、
「蝶か…」
夜目にも鮮やかな、真っ白な翅。ブラスの言葉が脳裏を過る。
挑発されているのは分かっていた。
けれど、自分の奥底に沈めた欲望を見透かされてもいるようで。
唇を噛み、クライヴはもう一度瞳を伏せた。
to be continued.
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