lose- 1 -

 辺りには、血と死の臭いが濃く立ち籠めていた。
 幾度となく修羅場を潜り抜けてきたクライヴですら、余りの惨状に眉を顰(ひそ)める。
 さほど大きいわけでもない村で、けれど生の気配は今、微塵も感じることができなかった。
「アーウィン、何処だ!? アーウィン!」
 とりあえず、アンデッドの群れを二手に分かれて追っていた師の姿を捜す。
 嫌な、予感がした。
 それを振り払うように、クライヴは再度師の名を呼ぶ。
 切迫した声は、不気味な静寂の中へと虚しく消えていった。
「………」
 不意にのそりと、何者かが背後で蠢く。
 反射的に振り向いたクライヴは、自分の目に映ったものに愕然とした。
「アーウィン…」
 しかしそこにいたのは、既に彼の師では有り得なかった。
 首に、はっきりと喰い込んだ二つの牙の痕。全身から発せられている、紛れもない魔物の気。
 吸血の徒と化した大男が、醜く凄まじい形相で彼を見据えていた。
 心臓が半分、抉り取られたような錯覚を覚える。
 この状況を、自分がすべきことを、頭では瞬時に理解していた。
 それでもクライヴは縫い止められたように、しばらくの間身動きすることもできなかった。
 当然の如く隙が生まれ、男はそこに付け込んでくる。
 猛烈な突進に、クライヴが一瞬遅れて防御の体制を取った時だった。
 まるで見えない壁に阻まれたかのように、男の足取りが不自然に止まる。
 同時に、
「……クラ…イ…ヴ」
 かなり掠れてはいるが、確かに師のものだと判別できる声が歪んだ口から漏れた。
 もう一度、できる限り心を鎮めて男の顔を見る。
 アーウィンは幾多のヴァンパイアハンターの中でも、特に毅い精神力を持つことで知られていた。
 それ故に、まだ完全には魔に支配されていないのかもしれない。瞳の端にはごく僅かだが、正気の光が残っていた。
 そして、その両の瞳が、言っていた。
 忘れたのか、と。

   一度、吸血鬼になった者はもう死んだも同じだ。

 最初に剣を与えられた時から。
 繰り返し繰り返し、聞かされた口癖。

 ―― 判っている。

   俺がそうなった時も迷うことなく斬れ。
   死体に遠慮などするな。

 ……判って…。

 一時は交錯していた意識も、すぐに取って代わられたのだろう。獣じみた雄叫びと伴に、ほんの数時間前までは彼の師であった男が猛然と襲い掛かってくる。
 逃げることは赦されなかった。―― 少なくとも、自分だけは。
 師との、唯一の約束を果たす為に。
 唇を噛み締めて、刀を構え直す。
 そしてクライヴは、目の前に迫る魔の者に渾身の一撃を振り降ろした。
 耳をつんざく絶叫が闇に響き、屈強な身体が鈍い音を立てて地面に崩れ落ちる。
 最期の、……一瞬に。
 クライヴは確かに、聞いた気がした。

   それでいい…

 そんな、師の言葉を。
「…アーウィン…ッ…」
 どれほど叫んでも。
 その呼び声に応える者はもういない。
 夜明け前の濃紺を帯びる空も、至る処に骸の転がる地にも、一切の音はなく。
 ただ前触れもなく叩きつけられた大き過ぎる喪失感に、心だけが悲鳴を上げていた。
 再び唇を強く噛み締める。
 師が先に、死ぬことなどないと思っていた。
 たとえ闇に堕ちる日が来たとしても、血に狂い人間(ひと)を手に掛ける前に、師が躊躇うことなく生命(いのち)を滅してくれるだろうと…。
 それは何処か、安堵にも似て。
 そこには奇妙だが確実に、絶対的な信頼があったのだろう。
 優しい言葉を掛けられたことも、修行中に褒められたこともない。
 だが、完全な人間ではないこの身を、蔑まれたこともなかった。
 ハンターの仕事や剣以外の話を交わした記憶もほとんどない。
 それでもアーウィンは間違いなく、自分にとっては“大切な存在”だった ――― 。
「………」
 逃げ遅れた村人や駆けつけた何人ものハンターは、誰も彼も奴らに弄り殺しにされた。
 アーウィンだけが鬼となり自分の前に現れたのは、奴らの奸計なのかもしれない。
 どう足掻いても無駄なのだと。お前が人間の世界に固執するから、こうして犠牲は増えていくのだと、それはあたかも嘲笑のようで…。
 湧き上がるのは、何もかもを奪い去っていくアンデッド達への強い怒りと憎しみ。
 激し過ぎる負の感情に飲み込まれそうになって、クライヴは胸を押さえ、膝を突いた。

 ―― 駄目だ…。
 このまま闇に、引き擦り込まれるわけにはいかない。
 全てを奪った者達から、全てを失わせるまでは……。

 刀を通して全身に伝わった、大切な者を死に至らしめたあの瞬間の感触を、敢えて自らの内に深く焼き付ける。
 決して、忘れはしない。
 必ず、レイブンルフト(やつ)を殺してみせる…。

 決意とも誓いとも呼ぶのには不似合いな、確固たる宿願を改めて胸中に刻んで。
 息をどうにか整えて、クライヴは立ち上がった。
 見上げた空には雲一つなく。
 朝陽が射せば、斬り捨てられた闇の者達は塵となって消えるだろう。
 それから村(ここ)を清めるのも死者を葬るのも、教会の連中の役割だ。
 自分は所詮、アンデッドを屠るハンターでしかない。
 眼前に広がる凄惨な光景も、芯まで凍りついてしまった心を最早、動かすことはなく。
 クライヴは師と伴に赴いた最後の戦場に一人背を向けると、二度と振り返ることなく歩き出した。

to be continued.

lose 2

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