辺りには、血と死の臭いが濃く立ち籠めていた。
幾度となく修羅場を潜り抜けてきたクライヴですら、あまりの惨状に眉を顰(ひそ)める。
さほど大きいわけでもない村で、けれど生の気配は今、微塵も感じることができなかった。
「アーウィン、何処だ!? アーウィン!」
とりあえず、アンデッドの群れを二手に分かれて追っていた師の姿を捜す。
嫌な、予感がした。
それを振り払うように、クライヴは再度師の名を呼ぶ。
切迫した声は、不気味な静寂の中へと虚しく消えていった。
「………」
不意にのそりと、何者かが背後で蠢く。
反射的に振り向いたクライヴは、自分の目に映ったものに愕然とした。
「アーウィン…」
しかしそこにいたのは、既に彼の師では有り得なかった。
首に、はっきりと喰い込んだ二つの牙の痕。全身から発せられている、紛れもない魔物の気。
吸血の徒と化した大男が、醜く凄まじい形相で彼を見据えていた。
心臓が半分、抉り取られたような錯覚を覚える。
この状況を、自分がすべきことを、頭では瞬時に理解していた。
それでもクライヴは縫い止められたように、しばらくの間身動きすることもできなかった。
当然の如く隙が生まれ、男はそこに付け込んでくる。
猛烈な突進に、クライヴが一瞬遅れて防御の体制を取った時だった。
まるで見えない壁に阻まれたかのように、男の足取りが不自然に止まる。
同時に、
「……クラ…イ…ヴ」
かなり掠れてはいるが、確かに師のものだと判別できる声が歪んだ口から漏れた。
もう一度、できる限り心を鎮めて男の顔を見る。
アーウィンはヴァンパイアハンターの中でも、特に毅い精神力を持つことで知られていた。
それ故に、まだ完全には魔に支配されていないのかもしれない。瞳の端にはごく僅かだが、正気の光が残っていた。
そして、その両の瞳が、言っていた。
忘れたのか、と。
一度、吸血鬼になった者はもう死んだも同じだ。
弟子になったばかりの頃から、
繰り返し繰り返し、聞かされた口癖。
―― 分かっている。
俺がそうなった時も迷うことなく斬れ。
死体に遠慮などするな。
……分かって…。
一時は交錯していた意識も、すぐに取って代わられたのだろう。獣じみた雄叫びと伴に、半時前までは彼の師であった男が猛然と襲い掛かってくる。
逃げることは赦されなかった。―― 少なくとも、自分だけは。
師との、唯一の約束を果たす為に。
唇を噛み締めて、刀を構え直す。
そしてクライヴは、目の前に迫る魔の者に渾身の一撃を振り降ろした。
耳をつんざく絶叫が闇に響き、屈強な身体が鈍い音を立てて地面に崩れ落ちる。
最期の、……一瞬に。
クライヴは確かに、聞いた気がした。
それでいい…
そんな、師の言葉を。
「…アーウィン…ッ…」
どれほど叫んでも。
その呼び声に応える者はもういない。
夜明け前の濃紺を帯びる空も、至る処に骸の転がる地にも、一切の音はなく。
ただ前触れもなく叩きつけられた大き過ぎる喪失感に、心だけが悲鳴を上げていた。
再び唇を強く噛み締める。
師が先に、死ぬことなどないと思っていた。
たとえ闇に堕ちる日が来たとしても、血に狂い人間(ひと)を手に掛ける前に、師が躊躇うことなく滅してくれると…。
それは何処か、安堵にも似て。
そこには奇妙だが確実に、絶対的な信頼があったのだろう。
優しい言葉を掛けられたことも、修行中に褒められたこともない。
だが、半魔だと蔑まれたこともなかった。
ハンターの仕事や剣以外の話を交わした記憶もほとんどない。
それでもアーウィンは間違いなく、自分にとっては“大切な存在”だった ――― 。
「………」
逃げ遅れた村人や駆けつけたハンター達は、誰も彼も奴らに弄り殺しにされた。
アーウィンだけが鬼となり自分の前に現れたのは、奴らの奸計なのかもしれない。
どう足掻いても無駄なのだと。お前が人間の世界に固執するから、こうして犠牲は増えていくのだと、それはあたかも嘲笑のようで…。
湧き上がるのは、何もかもを奪い去っていくアンデッド達への強い怒りと憎しみ。
激し過ぎる負の感情に飲み込まれそうになって、クライヴは胸を押さえ、膝を突いた。
―― 駄目だ…。
このまま闇に、引き擦り込まれるわけにはいかない。
全てを奪った者達から、全てを失わせるまでは……。
刀を通して全身に伝わった、大切な者を死に至らしめたあの瞬間の感触を、敢えて自らの内に深く焼き付ける。
決して、忘れはしない。
必ず、レイブンルフト(やつ)を殺してみせる…。
決意とも誓いとも呼ぶのには不似合いな、確固たる宿願を改めて胸中に刻んで。
息をどうにか整えて、クライヴは立ち上がった。
見上げた空には雲一つなく。
朝陽が射せば、斬り捨てられた闇の者達は塵となって消えるだろう。
それから村(ここ)を清めるのも死者を葬るのも、教会の連中の役割だ。
自分は所詮、アンデッドを屠るハンターでしかない。
眼前に広がる凄惨な光景も、芯まで凍りついてしまった心を最早、動かすことはなく。
クライヴは師と伴に赴いた最後の戦場に一人背を向けると、二度と振り返ることなく歩き出した。
to be continued.
現在文字数 0文字