音を立てないようにドアを開けると、既に目を覚ましていた天使が所在なさげに部屋を見回していた。
「…クライヴ!」
「………」
複雑な表情(かお)で駆け寄ってきたアリアの様子を確認する。
まだ疲労の色が見え隠れするものの、アズュアブルーの瞳は彼女らしい澄んだ輝きを取り戻していた。
そのことにまず、安堵する。
そしてクライヴは、確かめるように問い掛けた。
「……落ち着いたか?」
「…え? あ、はい…」
「なら、いい」
本当に、それだけで良かった。
しかし天使の方は、それでは気が治まらなかったらしい。
「あの、クライヴ…」
ごめんなさい。そう続くのは、容易に想像できた。
それを打ち消そうと、クライヴは彼女より先に敢えて淡々と口を開いた。
「妖精が、心配していた。早く戻った方がいい。
魔法を使う為の力などは、天界で休まなければ回復しないのだろう?」
「……そう、ですね。ご迷惑をお掛けしました…」
アリアは硬い声で、深々と礼をする。
謝ることさえもできない。彼女がそんな誤解をしたのがそれで分かった。
謝罪などいらなかった。だがその為に言ったことが、彼女にとって冷たく聞こえたのは否めなかった。
迷惑であるはずもなかった。寧ろ、無意識とはいえ傷ついた彼女が選んでくれた場所が自分の処だったことが、やや不謹慎かもしれないが、嬉しいと感じていたのに…。
足早に窓辺に近づく背中は、いつもよりずっと小さく、心細げに見えて。
クライヴはただ必死に、彼女への言葉を探した。
「アリア」
深い想いを込めた声に、天使はゆるゆると振り返る。
そこに含まれていた予想外に甘い響きに、ほんの少し、戸惑っているようだった。
「―― また何かあったら、来ればいい。俺は、…構わない」
それが今の彼に言える、精一杯のことだった。
途中で、アリアは無言で目を伏せる。
しかし背の高いクライヴに、俯いてしまった彼女の表情を窺い知ることはできなかった。
「アリア…?」
抑えた口調でもう一度名前を呼ぶと、アリアはそっと顔を上げる。
首を僅かに傾げると、潤んだ瞳のまま、今日初めてクライヴに向かって微笑んだ。
「……はい。ありがとうございます、クライヴ…」
「―――」
愛おしくて、胸が、微かに痛んだ。
この笑顔を護りたいと、心から、……想った。
今度は軽く会釈をして、天使は窓から純白の翼で飛び立つ。
それを見送りながら、クライヴは誓いを口にするような神聖な気持ちで呟いていた。
「……アリア…」
―― 愛している…。
伝えたい、伝えられない感情(おもい)を、愛しい少女(ひと)の名に潜ませて。
いつかそれが、告げられても、届かなくても……。
君が救ってくれた心を、
君にだけ、捧げるから。
だから、
力の及ぶ限り、叶えよう。
そう、君が希む、全てのことを ――― 。
fin.
2001,10,23
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