郷愁を包む唄- 1 -

 放っておいてください。
 険のある声音に、逃げられても困ると素っ気なく返したものの、最早それは口実にしか過ぎなかった。
 見え透いた嘘も頑なな反発も、親とはぐれ傷を負った仔猫が、何も信じられず、弱々しくも必死に威嚇しているようで。
 レオンは小さな肩を掴んだ手を、放すことができなかった。
 ―― この瞳をやはり、識っている。
 同情や共感とも違う。もっと近い処で、確かに何時(いつ)か、同じ瞳を見た気がした。
 魔界は、非力な人間の女が、後ろ盾もなく安穏と生きていける世界ではない。彼女自身が言う通り、どれだけ嫌がろうと、他に行く当てがあるはずもない。
 贄として必要なのは、赤い月に差し出す器のみ。心など、例えば正気を失うほどに壊れても、何の支障もない。
 そんな建前を幾つ並べても。
 今すぐくるみを、全てから守ってやりたい。その想いはもう、誤魔化せなかった。
「………」
 無言で華奢な身体を抱き上げ、歩き出す。案の定、暴れて逃れようとするのを、腕力と「黙れ」の一言で抑え付ける。
 そのまま彼女の部屋の前を通り過ぎると、はっきりと息を呑むのが聞こえた。
 どんな誤解をしたのかは、わざわざ尋ねるまでもなかった。
「……は、放して!!
 いやあっ! 誰か!! アインス、アインス!」
「うるさいっ!!」
「……!」
 一層暴れ出したのも束の間、激昂に身を竦ませる。言葉も継げられなくなった青ざめた横顔に、レオンは内心苦虫を噛み潰した。
 こうやって無闇に負の感情を投げ付けてしまうから、怖がられ、嫌厭される。
 最近の彼女とのやり取りでそれは判っていたのに、けれど、……許せなかった。
 腕の中で、他の男の名前を呼ばれることが。
「………」
 夕食の時も、似た気持ちだったことを思い出す。
 あんな悲愴な面持ちで人間界を恋しがるのは、―― ここに…傍にいたくないのだと、言外に告げられているも同然で……。
 灯りを落とした部屋のベッドに寝かせても、くるみは微動だにできずにいる。
 隣に並び頬に触れると、畏縮しきった微かな震えが、指先に感じられた。
「怯えるな」

      おまえが恐れるようなことは何も、しないから。

      このままひとりで泣かせたら、
      たぶんおまえは二度と、
      本当の笑顔を見せてはくれない。

      おまえにまた、微笑ってほしい。
      それだけ、だから…。

「……怯えるな」
「やっ…!」
 腰を抱き寄せた腕に、抵抗と言うには余りにか細い悲鳴があがる。
 構わず懐かしい唄を口ずさみ始めると、振り払おうともがいていた両手が不意に止まった。

      体温と心音。
      少し物悲しく、やわらかな旋律。

      遠い昔、不安を抱えていた夜にも、
      温かい眠りをくれたもの。

      それこそ、子供騙しかもしれない。

      でも俺は、
      誰かにやさしくする術(すべ)を他に、知らないから…。

 音がひとつ、静やかな月光に吸い込まれるたびに、互いを隔てていた見えない壁も消えていく。
 やがて閉じられた瞼から零れた涙に、レオンは思わず腕の力を強めた。
「うっ……ひっく、ひっく……」
 泣きじゃくるくるみが、何故かとても愛おしくて、―― 同じだけ哀しくて。
 その背中を、更にきつく抱きしめる。
 あれほど癪に障った郷愁も、今はただ、有りのまま受け止めてやりたかった。
 ここまで追い詰めてしまっていたのだと、追悔を伴い、哀情は増していく。
 だが同時に、止め処なく溢れる雫は、胸の最奥へと伝って。
 長くそこで凝っていた“何か”を、甘く溶かし出していくようだった。

to be continued.

郷愁を包む唄 2

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